第14回 久留米ん町探検  菊薫る旅を求めて八女の里

 実 施 日 :2015年11月8日(日曜日)

八女福島の商家の街並みを(さぐり)探り、界隈の文学碑を(めぐり)る探検

八女市の中心市街地・福島は天正15年(1587)筑紫広門が築いた福島城を、
慶長5年(1600)関が原の戦いで功を上げ、筑後一円32万5千石
(柳河城を本拠とした)に抜擢された田中吉政が、支城として大修築し、
城下町をつくった後、大きく栄える。




・集合場所:八女伝統工芸館

・集合時間: 9:30受付 
・参加人数: 30名 
・会   費: 1,000円
・出   発:  10:00分   
・解   散: 13:30分

 ・コースは下記の通りです

 1、堺屋(旧木下家住宅)
 2、八女福島地区   
 3、祇園社
   
 4、今里家住宅(市指定文化財)   
 5、無量寿院 
 6、坂本繁二郎の筆塚

 7、福島城址      
 8、横町町屋交流館
 9、福島八幡宮
10、八女伝統工芸館で昼食 解散

 
   

出発前の集合写真
 
 
 

町巡り前のストレッチ体操

  八女市ボランティアガイドの角田さん
     
日本一大きな石灯籠   
天皇・皇后両陛下行幸啓記念樹
(すずかけの木)
 
     
まず最初は堺屋  
旧木下家住宅

 
 

東、京町にある、外堀のなごりの水路空間

 
   

旧木下家住宅の庭にある、

山本健吉、石橋秀野の同じ石を分け合った夫婦句碑。

 
   
 
堺屋(旧木下家住宅)は代々酒造業、山林業で栄えた。その離れの豪華な設え。

 

道路拡張で軒切りを免れた商家


懐かしい骨董の看板が


祇園社は第一代福島城主筑紫廣門が肥前田代から移し祀った神社

 
 
松尾芭蕉の出子 旦夕、野坡の師弟句碑が祇園社の中に

 
 
軒切りを免れたニ軒の貴重な古民家の姿


改装中の八女福島の重要な町屋建設「房屋」


提灯の房を製造していたので房屋


現代風にアレンジされた房

 
 
無量寿院は坂本繁二郎画伯の菩提寺

 
坂本繁二郎の筆塚

繁二郎の画風に深く共鳴した朱鳥の碑

 
質問が多かった筆塚の説明
同人誌

無量寿院のケヤキは天年記念物に
三社宮

 
 
外堀の石組

 

坂本繁二郎画伯の像と直筆「空」の石像

 

福島城本丸跡 

福島城は三重の堀によって囲み、中堀・外堀の南半には城を迂回する往還道路に
沿って「町人地」を配したと考えられる。
町人地の敷地はこの往還道路と中堀・外堀の間に短冊状に地割がなされている。
元和6年(1620)当地は久留米藩有馬豊氏の支配下となり、
福島城は廃城となったが、町人地はその後も八女地方の交通の要衝の地として、
また、経済の中心地として発展する。
福島は城下町としては短期間であったが、その間に都市の主要な骨格ができたと
思われ、今も本丸跡、城堀跡の水路、屈曲した道路網等当時の面影を残している。

椎窓 猛の句碑
小島欧記の句碑

 
   
山頭火句碑 
横町町屋交流館でひと休み

 
 
横町町屋交流館

 

江戸時代の町並み

積極的な商工業の振興による富の蓄積で重厚な商家が連続する町並みを形成していった。

 
   

福島八幡宮

 

大庄屋から人形浄瑠璃作者、そして俳人へ。

江戸時代中期以来、八女では俳諧文化が花開、多くの俳人が活躍した。その俳人の祖と言わ
れているのが、橘雪庵貫嵐こと松延貫嵐。


   
 
八女の歴史の総集編を

 
当時の姿が今に残る往還道路

 

旧八女郡役所が改修工事中


八女伝統工芸館に戻り昼食


久留米ランチサービスさんの

美味しいお昼のお弁当


管内で開催されていた、竹久夢二展

 

日本一大きな仏壇

繊細な竹細工

 

近世以降八女地方は、和紙、ハゼ蝋、提灯、仏壇、石工品、茶など様々な
特産品の開発やそれを素材とした工芸品の創作に取り組んできた。
農産物の生産・流通の拠点であった。、

 

巨大提灯


幻想的な提灯

 
 
国指定重要無形民俗文化財の八女福島灯籠人形の舞台の再現


今回も身近な場所にある八女の歴史発見の探検でした。
雨の予報が見事に外れ、青空の元 少し暑さを感じる中でのさるきでした。

志を同じにする仲間達と久し振りに集い、お話をし知識を吸収出来ました。
高木隊長を始めスタッフの皆さん有難うございました。

ボランティアガイドの角田さんの説明で、沢山の事を知る事が出来ました。
大変有意義な探検隊でした。

また来春の探検隊を楽しみに致しましょう。命の洗濯が出来ました。
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