第13回久留米ん町探検 薩摩街道、筑後小郡、松崎の宿場町跡巡り

 実 施 日 :2015年4月12日(日曜日)

   
・集合場所:甘木鉄道 松崎駅

・集合時間: 9:10受付 

・参加人数: 24名 
・会   費: 1,000円
・出   発:  9:40分   
・解   散: 13:00


 ・コースは下記の通りです

 1上岩田遺跡     
 2、瑞松山霊鷲禅寺      
 3、北構口
   
 4、松崎宿歴史資料館      
 5、南構口    
 6、松崎城址

 7、桜の馬場        
 8、松崎天満稲荷神社  
 9、御茶屋跡

10、旅籠油屋    昼食   解散




 

 
 
   
 
出発前の集合写真

 
 

高木隊長による本日探検の説明

  町巡りのためのストレッチ体操

江戸時代の松崎は、薩摩街道沿いの宿場町として大変栄えました。
宿場内には現在でも、旅籠油屋や南北の構口など当時の面影を残す文化財が
数多く残されています。
また、枡形や桜馬場は当時の宿場町の風情を今に伝えています。

 
 

上岩田遺跡は工業団地造成に伴って発掘調査が行われました。
結果大規模な基壇や建物群が発見され、その重要性から
「小郡官衛遺跡群 上岩田遺跡」として国指定史跡となりました。

 

発掘された瓦


次の目的地へ


寛文9年(1669)、久留米藩支藩の松崎藩主となった有馬豊範は、
延宝8 年(1680)に三潴郡西牟田にあった霊鷲寺をこの地に移しました。
臨済宗の寺院で、本尊として薬師如来像がまつられています。

勅願寺という格式の高い寺院であるため、参勤交代のとき
薩摩街道を通る諸大名も、この寺院の前では籠や馬から下り、
拝礼してから通過したといわれています。


   
 
稲次因幡守正誠の墓

本堂の棟に5つ紋章が有ります。
 ・有馬家・皇室・天皇・徳川家・霊鷲寺

新緑の眩しい楼門


丸山さんの御詠歌

のちの世をひたすら願う魂は
わしのおやまに み法(のり)きくらん


境内の石楠花

   
この寺院の説明板

お地蔵さんの窪みの跡

 
 
 
今も残る薩摩街道

 

北構口の跡

松崎宿は久留米領内で一番北にあり、国境に近い重要な宿場でした。
特に北構口は、筑前国への出入口とも言えることから、重視されていたようです。
ここから北へ進むと、筑前国山家宿に至ります。道の両側に縦横二間四方(約4m)、
高さ一間(約2m)の石垣が築かれ、隣接した場所には番所小屋が置かれていました。

北構口を入ってすぐのところには、枡形と呼ばれる構造が残っています。
これは、道をわざと直角に曲げ、敵が侵入してきたときに容易に宿場内を
通り抜けられないようにしたものです。

 
昔の北構口の様子
大名等を迎える様子

 
 

松崎宿歴史資料館

   
 
大正時代の洋館(三原家)

  松崎宿歴史資料館の入り口 

   
 
各町には商売繁盛の蛭子様が祀られていた

  中町の蛭子様 
 

南構口(みなみかまえくち)


野田宇太郎の句碑

ツツジが咲き揃った
桜の馬場

 

 松崎城のあった場所、今は三井高校


松崎天満稲荷神社

 

稲荷神社

 

松崎天満稲荷神社の成りたち


松崎天満稲荷神社の境内

 
 
松崎天満稲荷神社

 
  
御茶屋跡

 

旅籠油屋 中油屋「座敷」(左) 「母屋」(右)

旅籠油屋は、江戸時代後期(18世紀後半)に建てられた大型の旅籠建築で、
棟を分けた「主屋」と「座敷」から成っています。
「主屋」には一般の旅人を、「座敷」には身分の高い賓客を泊めており、
大名を泊める本陣・脇本陣に次ぐ施設であったと考えられます。

油屋には西郷隆盛が宿泊したという伝承が残されており、
また乃木希典が昼食をとったことが、その日記から分かります。 

 

旅籠油屋の内部の説明

 
 

建物の構造

濡れ縁は傾斜になっている
   
廣津さんの旅籠油屋に伝わる「ユウレイ話」
久留米ランチサービスさんのお弁当 

 
 
真新しい 中油屋「座敷」で昼食


今回も身近な歴史の発見の探検でした。
志を同じにする仲間達と久し振りに集い、お話をし知識を吸収する。
大変有意義な探検隊でした。高木隊長を始めスタッフの皆さん有難うございます。

また秋の探検隊を楽しみに致しましょう。
backへ 次へ