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    女学校ー学科
   
  学科は、修身、国語、数学、理科、地理、歴史、音楽、裁縫、家事、体操、図画、習字、 どんたい。

  割烹教室ち云うともなかもんじゃけん、めいめいの教室に七輪持ちこうで、教壇の上にど ん置いて、料理の勉強しよったたい。洗い物てんお野菜てん何てんな、ちゃーんと先生の用 意して来てありよった。

先生は学校出の先生がちよいと少なかったけんじゃろ、町の上手な料理人さんば先生にやと てあったたい。作るお料理はみんなが試食するだけは無かもんじゃけん、味見ぐらいで、一 人前か二人前出けたっは担任の先生てん、人気のある先生に持って行って上げよった。

  図画は一回生の頃は森三美先生ち高等小学校の先生の教えよんなさったげなが、あたし達 ん頃から宮原の常さんが先生になんなさった。日本画で、お手本見て描くとばっかりじゃん。
お手本見て描きぁ誰でんどうやらこうやら描くばってん、いつか何か写生させなさったりゃ、 てんでどげん描くやら勝手のちごうて誰でんよう描けじやったたい。

  卒業するとき学校に残すとに、みんな絵絹ばわくに張って、どうさ引いて地ごしらえして、 思い思いのもんば何やらお手本さがし出して、見て描いたたい。あたしも、新田義貞の由比 ヶ浜んとこば描こでち絵絹の地ごしらえしとったりゃ、大根おろし作りょって指先ばけがし たつから、湯風邪ん入って右手の指のいっときどんこん使われじやったけん、とうとう卒業 記念の絵も裁縫も出けんで残念じゃったたい。

  裁縫は初めは入江先生ち婆さん先生のおりよんなさった。御井高等に裁縫ん先生の土田先 生ち居んなさったつと一緒の古るか先生で教え方も旧式で、早縫てん何てん、ただ着物の出 来るごつ縫やよかち云うふうじやったたい。四年生んとき、葉室先生ち云う先生の来なさっ て、その先生は新しか系統立った教え方で基礎から図解して教えよんなさった。

  入江先生は数え方は旧式ばってん、ほんに面白かこつして笑わせたりする先生じゃった。 もとは祭日にゃ街々でよう賑やかしたり作り物ん作ったり、見物人が出たりで、ほんなお祭 り騒ぎばしよったが、何時か天長節の時じゃったが、あたしが山本に行っとったりゃ、女学 校の先生達がそげなお祭り見物にさるいたあげく、ぞろぞろ、山本さん来なさったたい。

そして賑やかしなさるこつが、入江先生の赤着物どん着て、柳こうりば引っくり返して綱つ けたつに、男の先生ば入れてぞろぞろ引張って来て、むこさんが足の萎えくれて立てんごつ なっとっとば車に乗せて行くとこち云うて"にわか"んごたるこつしたり、踊ったりして、ど んどんみんなば笑はせて引っくり返しょんなさった。

そげな"にわか"てん踊りてん、歌うたりはねたりようしょんなさった。元の家中のお方じゃった。

  体操は黒岩万次郎先生てん土岐ヤス先生てんが教えよんなさった。体操ち云うたっちゃた すきどんかけて、亜鈴てん球桿てんでするだけじゃん。いつか誰か球桿の棒ば折ったりゃ、 そげん折るごつ一所懸命にするちゆうこつは大いによかち黒岩先生からじやっつろか、ほー んに褒められたこつんあるたい。

歩調取っての行進がどうしてん歩調の合わんもん。今ん幼稚園の方がよっぽどよか位じゃん。 高等小学の頃の方がよっぽどようあるきよった。
何せ其頃は、年頃の娘はかねて、立居 ふるまいに、足首でん見えちゃならんち、うちででん学校ででんしっかりしつけらりょった し、自分達も、年頃じゃけん恥かしかち云う気持ばみんな持っとったもんじゃけん、そげな 風じやっつろたい。

そっで、よう土岐先生は、腹立てて職員室さん帰ってしまよんなさった。
体操の専任の 先生の居んなさらんもんじゃけん、卒業するまでとうとう黒岩先生と土岐先生が教えなさっ たたい。卒業した後にどん専任の先生の来なさった。
修身な校長先生、国語は黒岩先生 の教えよんなさった。

  佐々に居った時、旅行中の主人に送る手紙ち云う題の宿題の作文書こうでち、朝しよった りゃ、表の道ば子供が鉄道唱歌ば歌うて通ったけんひょいと思いついて、「太郎も近頃、鉄道 唱歌の一節二節覚え候て毎日元気に歌い居り候」ち書いとったりゃ、黒岩先生の褒めなさる こつが、あたしゃ照れ臭うして・・・・・・。

その頃は、ませくれた文ばかり書かされよった。土岐先生の頃はまあだおかしか作文じゃっ たげな、先生の笑うて話しなさった。
「一瓢を腰にさげ花を肩に蹌踉として帰る」ち小 学生の頃かいたげな。子供が酔っ払うて、鎗踉として一瓢を腰にして帰ってはどうにもなら ないよ、ち云うて笑よんなさった。

  そげなおかしか文でなかと文章じゃなかったげなたい。大人の口真似ばかりして、大体が 自分の思うたこつでん何てんどげん書くじゃり書ききらんとじゃけん。

  音楽は、まあだピアノてん何てんなかもん、オルガンで習よった。ただみんなで歌うだけ たい。補習科に行ったころは、もうあの針の時計のごつ動くと、ありで拍子とったりして合 わするばってんなかなか合はんち、どんどん稽古させられよった。
ドレミハじゃなしに、ひ ィふゥみィよォいィむゥなァ、じゃった。

  「英語ば教えて下さい」ち、ようみんなで云よったばってん生意気になるてん云うて、と うとう教えなさらじやった。外国地理と外国歴史は土岐先生じやった。高等師範出じゃった。 数学は倉本先生でこの先生も高等師範出じやった。

  ときどき試験のありよったりゃ四人ばっかり教員室さん呼出されたもん。下坂おうめしゃ んと井上おかめしゃんと、あたしと、も一人誰じゃっつろうか思出さんが、四人じゃん、何 で呼びのついたっじゃりち、びくびくして行ったりゃ、あんた達は成績も良うして行状も良 うして、みんなのお手本にならにゃならんけん、こりからもしっかりして行かにゃならん、 ち云われたたい。

教室さん帰って来たりゃ、皆が何事じゃったの、ち心配して聞くばってん、褒められたちゃ 云われんもんじゃけん、四人ながら「ただちよいとたい」ちごまかしたたい。


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