○ 田代神杜 |
田代神社図 |
上図 中央部上方に橋の絵がある |
本 社 |
石祠なり.。石鳥居一基 大日窟といふ。この所の事、社記に詳なり。(附録) |
◇ 豊前坊社 |
所祭、豊前国田川郡彦山権現なり。是を豊前坊共いふ。正保年中に、当村の住人、深江吉衛門正貞といふ者に神託あり。はじめて当社を勧請す。寛文年、邑君より神殿をあらため造立ありて、社領を七石寄附し給ひ、且、吉左衛門にも月俸を賜へり。其霊験ありしかば、遠近より祈願の為めに詣来る者市をたせしかぱ、宝暦の頃より、諸人の群集漸滅せしといふ。祭礼は11月14日、奉紀の杜人即、深江氏なり。元祖正貞より七代孫なリ。世々、両部の修法にて、吉田家の流にはあらず。(拾遺) |
☆ 豊前坊と弾丸 |
柳ケ浦に入水した平清経の子孫の深江吉左街門正貞は、上秋月村江川で医者をしてゐたが、彦山の豊前坊の神が移って、不思議なことがあるといふので、秋月侯は田代某に命じて審査させた。田代は君命によって、彼に通力の、有無を試みるために、深江に発砲するに当たり、一つ玉と偽つて実は二つ玉をこめて打つたので、彼は怒つてその玉を自ら両手に受留めた。田代は辛うじて命を助けられて帰ったが、この不恩議なことが伝つて、豊前坊は繁昌するやうになつた。(筑前伝説集) |
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