粟島(淡島)宮 ☆淡島宮 【望春随筆】宝暦の姶頃、時津宅右エ門と云ふ者あり。至つて富饒にて学頭谷辺下向道辺皆同人の地面也。宇右エ門少し愚なるにより相続ならず、浪人の躰になり、其実父与助より地面皆譲り受たれ共、年々売払又人にだまされ取られ、老年には聊か地面を以て曲りなりに手習の師をし、又竹紬工等いたしかすかに暮しける。仁鳥に手習子あり。同所に12年住居事も有となり。又石紬工も少し心得たるにや、仁烏住居の時、石に淡島大明神と彫付、界の松の傍に建たり。宅右工門死去後は誰かまふ者もなく、草木生茂り石も見へず、松の大木の一本有のみ也。 |
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