黒川・高木神杜

         県指定無形民俗文化財   平成719


 山間の要地、上座郡
黒川村は英彦山座主ゆ
かりの地、黒川庄高木
神社
に今に伝わる宮座
の儀式 口に柴かみ餅
をつく。杉の古木に囲
まれた
氏神様の村祭り。

筑前朝倉の宮座行事

黒川高木神社は、旧名を黒川村大行事社といい、彦山が七里結界といわれるその神領内に鎮守神として勧請した大行事社の一つである。神領内には四十八カ所に大行事社が勧請されたといわれているが、その中でも特に拠点とされるところには、彦山麓七大行事社が置かれており、黒川高木神社もこの一つにあげられている。さらに黒川には、彦山の座主院がおかれていたと.いう特殊な地域事情が見られる。座主院は正慶二(1333)年、字都宮信勝の推挙により、後伏見天皇第三皇子長助法親王が彦山座主となり、御名を助有法親王と改め、この地に館を設けたのに始まるとされる。その後、十四代座主舜有の時、天正十五(1587)年豊臣秀吉に神領を没収されるまで黒川に座主院が置かれていた。そのことが古格を残す宮座が伝承されて言う要因のひとつでもあろう。

 通称「黒川くんち」と呼ばれ、102529日に行われます。
 特徴的なものとして宮座の中心となるのが御当(または御当子)と呼ばれる子供であること、宮座の行事の中に御ホシによる穀霊つなぎが見られることがあげられます。
 その年に取れた新米を土器に入れて木箱に収め・藁苞に包み込んだ穀霊(御ホシ)を受方の座元地区で作り、地区守護神を祀る杜の神木の樹上に安置して1年間保存し、翌年  の宮座の前に新しく収穫した米に混ぜて御供を調整し、穀霊のつなぎをします。
 準備段階から宮座、座元譲り渡しまでの丁連の行事には共同体の結束が見られ・中世以来の貴重な集落祭祀の伝統が伝えられていますが、黒川に彦山の座主院が置かれていたことが、古格を残す宮座伝承の要因とも考えられています。



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