10.秋月街道



 筑後飛ぶ前途を結ぶ道で秋月藩分知直後の寛永年間(1624−38)に整備され、参勤交代にも使われました。街道名は秋月藩5万石の城下町を通ることに因みます。
 経路1・・・・久留米〜秋月〜小倉

 松崎・野町・秋月・千手・大隈・猪膝・香春に宿場があった。 現在 の行 政区画では、久留米市・小郡市・大刀洗町・三輪町・甘木市 ・嘉穂町・山田氏・田川市・北九州市小倉南区この道はもともと秋月城下町の東西を貫通していましたが、秋月藩分知直後すぐに防衛的理由から城下町の中心で直角に曲がる新道に付け替えられました。これを新八丁と言い、旧道は旧八丁と言います。
  経路2・・・・久留米〜秋月〜白坂峠〜長崎街道
          白坂越は、江戸時代の参勤交代に最もよく利用されました。江      戸参勤に向かう主人を最後に秋月城下を見下ろすことの出来る      ところまで家族が見送り、3年間の別れを惜しんで涙を流しまし      た。白坂越高内と白川との間にあるこの場所は、「涙坂」と呼      ばれています。

秋月街道 八丁越

        史跡/小郡市松崎〜三輪町依井〜秋月〜八丁峠〜嘉穂町大隈
    
    長崎街道である冷水越えの内野・山家両宿が開設される以前
は、
    八丁越えの秋月街道は九州の大動脈であった。

     秋月黒田藩の分知後の寛永年間(1624〜38)、藩主 長興は
    衛的理由から街道の付け替えを行った。城下町の中央で街道を
    北に曲げ、古処山を大きく迂回させたのである。



次へ