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    選挙さわぎ
   
  その頃、国分にゃ昔ん備荒貯蓄、のちの区財産のあって、国分区会ち云うて、区会議員どん選 挙して出して管理しょったたい。仲ようすりゃよかもんに、政友系、民政系で、政府ん代るた んびんに、村の駐在巡査さんまで代りょった時代じゃったけん、この村も二手に分れて喧嘩ばっ かりじゃったたい。

区会議員の選挙に民政系がお金ばらまいて買収したてろち、その頃は民政の天下で表向き云う たっちゃ、うち合わんてろで誰かが憲兵隊に突っ込んだげなたい。そっでお金貰うた村ん者達 てん、やった者も憲兵隊に引っ張られて村は大さわぎなったたい。夜遅う憲兵隊からち云うて うちにもござった。

お父っちゃまは、買収した人達とは反対側の親分株じゃけん、こっちはそげなこつはなーにん 心配はしよらじゃった。まーだ他所から帰って来とんなさらじゃったけん、そげん云うたけん 憲兵は帰らっしゃったごたった。

そりからすぐー帰って来なさったけん、こげんじゃったち話したりゃ、「反対側の親分が何で 買収さりゅか」ち笑よんなさったばってん、其頃区財産から駐在所の敷地の地代ば貰うたこつ のあったけん、「あーたの早よ受け取りどんキチンと出しときなさらんけん、そげなこつでど ん買収したち云うたり、買収されたち思われたりしなさったつじゃろたい」ち、大っか声で話 しょったりゃ、お玄関さんまた憲兵の入ってござった。

そして、ともかくも来るとは来てくれち云うこつで、一緒に出て行きなさったが、そげな話し よっとば、表から聞きござった様子で、別に取り調べちもなし、休むとに寒かろち云うて、お 父っちゃまだけ毛布くれたりさっしゃったげな。翌日はすぐ帰って来なさったたい。そげなこ つで村はいつでん真二つじゃったたい。

  そりから国分が市と合併してからの初めての市会議員選挙の始まった。そん時ゃ普通選挙ち云 うごつなって、初めての選挙じゃったたい。そり迄は一定の財産の無かと選挙権さえなかったったい。

  一級と二級ち分かれた、一級の者ンな、一級からも二級からも候補に出らるゝばってん、二級 の者な、二級からしか出る事は出けじゃった。二級の者ンな二級から出た人しか選ばれじゃっ た。おかしかこつじゃん。

うちはそげん、すってんてんの借銭だらけんとに、一級ち云うこつじゃん、どうしてのち云う たけん、どうしてのちゃ、ち笑われたたい。あーた抵当に入っとろうと、まあだ一町から土地 持っとんなさるじゃんのち村ん人達ん云わっしゃるもん。そげん云わるりゃそげん持っとるたいの。

  そしてとうとうお父っちゃまが政友側、原口の円蔵さんが民政側から担ぎ出されて立候補しな さったたい。支持者は、ばってん二級から出た方が多かろち云うこつで、二人ながら二級から 出るち云うこつになった。どげな事になるじゃりち思うたばってん、みんながどうでんこうで ん、こりば機会に真藤さんばもいっぺん盛り返えさせにゃんち、村ん人てん、元の出入り内て ん、一所懸命になってやらっしゃったたい。

うちゃもうお金もなし、ばらまくお金てん何てん無かもんじゃけん、応援する人達のお金は出 してくれてじゃったたい。もとん出入り内ん者で反対派に付いた者のあったりゃ、村ん人どん が、何じゃ彼んじゃ、あんまり悪口云うたけんじゃろ、選挙後ことわりのごつ何じゃら担いで ご機嫌伺いんごつして来たけん、笑うたこつじゃった。

  まあ村中二つに分れて大騒ぎしょった。いまよりあの頃の方が、みんな一所懸命になりよった ごたる。世間がそりしこ呑気じゃったっじゃろの。ところが選拳の結果がおかしかもん、原口 さんと、お父っちゃまと同点で、おまけに当選するとと、せんとち云う事じゃん、そげん時ゃ 年寄りが上がるげな。

一つお父っちゃまの方が年の多かけん、お父っちゃまが当選ちうこつになっとったりゃ、無効 票の中から向うが一票引き出して来たげな。原口光蔵ち書いたつげな。そんとき、山口光蔵さ んち云う人も出てじゃったけん、そっぢゃどっちんとじゃり判らんち、政友側から異議申し立 てたばってん、とうとう時の天下が民政じゃけん、ご無理が通ったてろち、政友側の大将株じゃっ た岡幸三郎(後代議士久留米市長)さんてん、新議員の石野義助さん達も、ぷんぷんで、村の 後援者も大騒ぎじゃったばってん、しよのなかったたい。

とうとうお父っちゃまの落選ち云うこつになってしもたたい。ほんにようまあのう、一つ村ん 喧嘩相手同志がそげなこつになってくさい。ほんに世の中ちゃ妙なもんばい。その後うちはい よいよ貧乏神と仲好しになってしもた。

  そげなふうでおキンばばさんが、いろいろ心配して呉れたリ、あたしもおきあげてん、ちっと でん稼ごち思うばってん、手ぬるか方じゃけん、そげんさっさと出来んし、まあだばばしゃま ん居んなさった頃、福岡に絞り染めの講習に行ったりしとったけん、ああた達ん着物てん、学 校行の雑嚢てん絞ってやりょったたい。

アヤんとは鳩と豆、ヨシんとは楓てんしてやっとったたい。そっで、しぼったつのよかけんち 学校で先生たちの教えて呉れち云いなさるけん、アヤが二年生頃じゃったか、国分の学校に教 えに行ったこつもあったりゃ、弓削村ん学校の江口校長さんも、ぜひ教えに来てくれち云いな さるし、その頃身体の弱っとったけん、あすこ迄歩るけんち云うたりゃ、人力車で送り迎えす るちぅこつで、何日か講習どんしたこつもあったたい。

そげなふうで、染物屋からよう絞り頼まれたりしょったけん、時々はそげな賃仕事どんしょっ たばってん、何せ間尺に合うこつじゃなかもん。うちにゃ年中借銭取りが来るし、時々ゃ近所 んおばさん達が松葉かきに行くとにつんのうて、隈山にどん松葉掻きに行きよった。

山に行っとる間は、借銭取りも来んし、さっさと松葉掻く間は何にん考えんで、気持も楽じゃ けん。後には一人で行くこつんあったたい。そりばってん一人で行って、一ぺんほんに困った けん、やっぱ人と連んのうたがよかたいち思うたこつじゃった。さっさと松葉集めて、束にし て、いざ背負おうでち、背負いづなに両手ば抜いて立ち上ろうでちして、尻もちついたりゃ松 葉の重みで、どうしてん立ち上がれんもん。

両手ながら抜こうでちしてん、どんこん抜けはせず、片手づゝはづそうでちしてん縄のしまっ てはづれんもん。ひっくり返ったガメさんのごつ、いっ時ゃ、上向いたなり、およーおよしよっ たたい。ようようのこっで手の抜けて、また負い直して帰って来たが、自分ながら、おかしか 恰好じゃったろうち考ゆっと、おかしうしてこたえじゃったたい。一升米でん買わるゝ時はよ か時じゃん、米買うお金も無かったこつのあったたい。

  その頃福田忠太郎先生の、もう学校やめて、天理教会どんしよんなさった。先生も家族の不幸 に遭うたりして、そっちの方に入んなさったごたつた。時々来て色々話しよんなさった。そし て、「落つるだけ落ちて仕舞いなさい。途中でふみ止まろでちしたっちゃこりゃ駄目じゃんの、 落ちてしまゃ、あとは必ずまた浮うでくるけん」ち云いなさるもん。

「この上まあだ落つる余裕のありますの」ち云や、「あるどこじゃなか、まぁだああた達の落 ちて仕舞いきんなさらんけん浮び上んなさらんとたい」ち云よんなさったたい。


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