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    婚 礼
   
  ご祝儀はそこん家々で、何でん違ごとったたい。初手んこつは知らんばってん、あたしど んが覚えてからは、お茶見せちしよった。

  聟どん方から着物、帯、飾り茶ち云うて袋に花どんつけたお茶の包の来よったたい。
  "一生出らん茶"ち云うて、ほんなボロ茶ば一升包みよったこたる。小袋に花飾りのついた お茶の幾つも来るこつんあったが、そげな時や、はなむけ貰うたとこにその袋ば配ったりし よった。お茶ば貰うと嫁さん方ぢゃ"お茶見せ"ち云うて、近所付合いば呼うで、こうして娘 ばやりますけんち、披露しよったたい。

そして嫁さん方は、箪笥、長持、布団、衣類から、盥、手桶のこたる物まで作って、つり船 に載せて、唐草てん定紋てん染め抜いた布どん被せて送り人が青竹ん杖突いて、一つのつり 船ば二人で中吊って、ギコギコ云はせて聟どん方さん、ご祝儀の前ん日くらいに道具送りば しよったたい。なったけそのつり船の多かつが自慢じゃったたい。

  嫁さん方の方じゃ、お茶披露のとき、その持って行く道具もみんなに自慢で見せよったた い。初手は嫁入ぶとんに、絵絣の布団の出来たげなちどん評判になりょった、トーゼ(藤左衛 門)さんち、よか百姓のあったが、そこにその絵絣の嫁入り布団の出けたち、めった評判じゃ った、あたしゃまあだ小まか娘んときじゃったけん、乳母やいに連んのうて貰うて、お茶見 せに呼ばれて行ったこつんあった。そんときの絵絣は膳所(ぜぜ)の城の絵絣じゃったたい。
大正頃、になってからは、どんすの布団の出来たげなち云うとが評判になりよったけん、大 分世間も豊かになったったいの。

  うちには今田からのばばさんの嫁入り布団の内に、描き更紗の布団のあったが、地の良う か金巾(かなきん)に花形の模様ば描いてあった。ちょうど桃皮染めんこたる大体の地色に、 緑てん、青てん、何じゃりの色のあったふうじゃった。そげんとは良か布団じゃったふうじ ゃん。渡りもんで、長崎から取り寄せなさったげなち云うこつじゃった。だい分色のあせて は来とりたばってん、のち迄丹前にどんして着よったがの。

  とにかく、そげな道具類は初手は身分がしきたりの元じゃっつろが、のちは財産が元にな っとったごたった。

  そげな吊船の行くときゃ、村んのど自慢連中が必らず何人かかついで行きよったたい。 村出るときも、村に入ったときも辻々に立ちどまって、投げ節どん歌うて行かにゃんけん、 頭にゃねじ鉢巻きどんしたふうで。清がのど自慢じやったけん知り合いの道具送りんときゃ 大方行きよったたい。ご祝儀んおごちそうも、その家々でいろいろじゃったが、この村内の どこそこはたいがい似たり寄ったりじゃったふうじゃん。

お料理でのごち走は費用のかかるけん、たいがいはこうさこてん、生菓子てんで作ったお料 理菓子で済ましよったたい。お吸物てん、おなます、がめ煮んごたるもんなお料理でしよっ た風ばってん、お吸もんなくさい、どこでんねぎ、おとうふ、竹輪がこの辺なしきたりんご たったばい。ねぎの無かときは何ば入れよったじゃり、何せいまからすっと質素なももんじゃった。

  大したこつじゃなかったこたるばってん、その頃じゃ大した入目じやっつろけん、どこで ん話合うて、やる方も貰う方も納得つくで"盗み嫁ご"ち云うこつんありよったもんの。「嫁ご ば盗うで来ましたけん、今夜ちよいと盃させますけん、花嫁ん衣裳ば貸しておすけられ」ち どん云うて、よううちに借りきよったたい。そすと“ほーしょう"てん木綿の、紋付の散らし の入ったっどんがありよったつば貸して、ちよっとした櫛、こうがいのこたる髪の飾りどん 貸すとそりで花嫁ごさんが出来よったたい。

そげんすりゃ何の手間暇いらんし、大ごつして、道具揃えたり、お客したりせんでんよかり よったけん、ほんに盗み嫁ごは多かったたい。ばってんそりも明治までで、大正になってか らは、まれにはあったばってん、いつたいに(大体において)そげなこつはせんごつなった。

  嫁ごさんが来て、一応"さかづきごつ"が済むと、姑がかさんてん、肝入りばばさんど、ん が、こしらえた嫁ごさん連れて、組内ば門(かど)ざるきちしよった。

  挨拶廻りたい。夜は提灯どんさげてさるきよった。昼間どん、さるきよると後から子供ど んが、ぞろぞろついてさるきよったたい。


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