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    お正月
   
  お正月は、あたしが娘ん頃までは、なかなか行事がむつかしかったばってん、あたしん代 になったりゃうちが何も無かごつなったけん、形もだんだんくずれて何も彼も昔の影も形も なかごつなったたい。

  お祖父っつぁんの代までは、お正月の朝起きって顔洗うとお祖父っつぁんの神仏ば拝うで 正座に坐んなさる。ばばさんのまたお祖父っつぁんのしなさったごつして、正座のお祖父っ つぁんに「おめでとうございます」ち挨拶して次座に坐んなさる。

お父っつぁん、おっ母さん、あたしち、順々に、その通りして坐ってしまうと、 おたかの行儀作法のよう判っとるけん指図しておなご(下女)が一番に宝来のお三宝ば お祖父っつぁんの方から、その前に順々に持って来るけん、宝来に頭下げては宝来の米粒ば 一っ二っづつ頂いて食ぶる。

一人々々そうして仕舞うと宝来は床の間に持って行って飾る。つぎは、お三宝に土器(かわらけ)ば載せて 持って来る。そりば一番にお祖父っつぁんの前に置いてお祖父っつあんが一番にお屠蘇ば頂 きなさる。そして次は、ばばさんのお祖父っつぁんの前に出て行って、お祖父っつぁんから お盃頂いてお屠蘇頂いて、そりばお祖父っつぁんに返して、自分の座さん戻んなさる。そす と今度はお父っつぁんのお祖父っつぁんの前に出て又はばさん同様にしなさる。おっ母さん あたしと、その通りしてお屠蘇の献酬がしまゆるたい。   おたかは奥座敷と奥の間との間の二畳敷に坐って、ちゃんとそりば見よって、頃合い見計 ろうて、お雑煮におかちん入るるごつお台所の方に「よかばい」ち指図するたい。お雑煮は 前の日にちゃんと具の用意して、お汁炊いて具ば入れて、おかちん入るるばっかりにしてあ っとたい。おとこ(下男)がおかちんの焼き役で、その焼いたつばお雑煮に入るるたい。   お膳な、高お膳のめいめいに決まっとったけん、その高お膳に、くりへばしば白紙で包ん で水引かけて、その白紙にゃめいめいのしるし、紋のごたるもんたい、めいめい決まったし るしばもっとったけんそりば書いてのせて、おごちそうは、裏白にのせたすわり鰯のおひら、 酢にじん酢こぼ、数の子と、いもごぼう大根にーじん、しお鯛とおかちんのは入った、味噌(お むし)仕立てのお雑煮で、そりばそれぞれ蒔絵の器についで持って来よった。

  ほんにそりから何より先に、みんなが座に着いたとき梅干とお茶ば持って来よったごたる ち思うばってん、お屠蘇の済んでからじゃつたかも知れん。何せこっちさん来てからは、何 でん彼んでん略して仕舞うたけん、はっきりおぼえんたい。

お祖父っつぁんの居んなさらんごつなってからも、初めはお祖父っつぁんの時のごつしよったばってん、 お父っつぁんの役場に出なさるごつなったりゃ拝賀式に出なさらにゃならんけん、 お父っつぁんだけ早うお屠蘇祝うて出なさるごつなったけん、何じゃり初手のゆっくりした お祝膳じゃなかごつなった。

そりから、元はお屠蘇の献酬も、一人一人お祖父っつぁんから頂きよったばってん、暇ばっ かりいるけん、のちにはお流れ頂だいち云うこつにしたけん、ちっと早よ捌くるごつなった たい。宝来も面倒になって、のちには床の間に置いたままたい。   男は紋付羽織袴で女は何時もよりよか着物の上に、紋付ば打ち掛けのごつ着よった。紋付 ば広帯して着よると着附けだけでん大ごつじゃけん、略してうち掛けにして着よったたい。 そりばってん、こりゃうちだけのしきたりたい。山本へんなちゃんと御紋付ば着よんなさっ たたい。大体どうやら山本あたりのしきたりが、うちさんは入って来とるごたる。もともと ひいばばさんが山本の出じゃし、ひいお祖父っつぁんも、山本同様の垂井からじゃつたけん…。

そりばってん、山本は大家のけん、分家同様のうちが山本のごつはせんでよかち云うて、 道具類から何から、しきたりまで、山本より一段下げて、しよんなさった。身分相応ち云う とが、お祖父っつぁんの主義じゃつたもんの、その頃は、身分ち云うこつの何につけてんや かましかった頃じゃけん。   上通りのお屠蘇、お雑煮のすむと、次通りがそれぞれ挨拶に来て、自分達のお祝膳につき よった。次通りも上通りと同じこつで、お雑煮、数の子、すわりいわし、酢にじん酢ごぼう、、 お屠蘇じゃつたたい。お膳てん、器てんな違うばってん…。

そりこりしよっとご年始客が次々は入って来よんなさった。大体うちは元はお正月料理は、 そげんおごちそうはなかった。三種盛、がめ煮、豆、酢の物、数の子、お雑煮ぐらいじゃつ た。ばってん、お父っつぁんの、よそはほーんにおごちそんあるばい、うちも、もちっとど うかしとかんといかんばい、ち云いなさるけん、おごちそ作るごつなったたい。   元日の夜のお直会(おのれ)の献立は、大根の千切りと鰯との煮なます、トロロ昆布と大き ゅ切った塩ぶりのゆでたつとば盛り合せたおひら、さといも、にーじん、ごぼう、れんこん、 こんにゃく、椎茸、にわとり(昔はがめの肉)のがめ煮、そりに味噌汁、味噌汁の実は塩鯨ば 薄う切ったもんと、かつをかぶのねじ切ったつ、花型に薄切りしたにーじん、短冊切りの大 根てんじゃった。   お正月行事てん年中行事は初手は旧暦じゃったばってん、明治も末になったり大正には入 ってから、だんだん新暦になったたい。此辺な大正中頃まで旧歴のお正月するとこが多して、 旧の元日はどこでん表の戸は、正午(ひる)頃迄も開けは居らじやった。うちはあたしが憶え とる頃はもう新のお正月じゃった。

表向きの勤めとかつき合いの有るとこ辺が、早よ新暦になしたこたる。ばってん、旧のお正月にも、 ちょいと、おかちんついたり、しよったたい。 お雑煮も新と同じこつに作りよったばってん、お祖父っつあんの、お雑煮はやっぱ、新の元 日のつがおいしか、年の始めち云う気持からじゃろ、ち話しよんなさった。   千磐ん伯母さんのお話じやっつろか、岡野のばばさんのお話じゃっつろか、初手のお正月 は、お城に出にゃならんけん、朝早よ、お風呂沸かして、お風呂に入って、お屠蘇どん祝う て、御殿に出ておいりょったげな。あたりこたりは物音ひとつ聞えんごつ静かで、鶴どんが 空高う、コローン、コローンち云う風に鳴いて渡って行ったりして、ほんにのどかなお正月 らしかお正月じやったげな。


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