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    高良川の流れ
   
  初手は、高良川は営所の北ん方の川原(こうら」ち云よったあたりは石ごろごろで、大っか いろいろな木の生えとったげな。そのなかば大雨毎に川の流れば変えて、あっちこっち勝手 に流れまわりよったげなたい明治初め頃までは。そして川の流れは川原んちょいと下の方か ら、急に北さん曲って、隈山んお墓どこの崖に突き当って、またくるっと南さん曲って、東 ん出口の方さん流れて元うちの藪じゃったとこん下ばこうえぐるごつして、「峰のそこ」てろ 「鉢のそこ」てろ云うとこば曲って、いま忠霊塔んある山の崖に沿うて浦川原(うらごうら) さん流れとりよったたい。

  大雨の降る度にお墓山ん崖のくずれ落ちょったたい。 高良川ん水のどんどん流れかかって、崖の下ばえぐるもんじゃけん、そってようお墓のお棺 が出て来たりして、いつかだんお棺から死人の出て来たりしたつに、子供どんが石投げかけ て、そっで崇ってほーんに熱ん出たてろん話のあったりしょったたい。

そっで第一衛生上悪 るかし、そりに先祖のお墓のくずれ落てて流れて失うなるし、そげな川のそばに土葬するお 墓のあっちゃ悪るかけん、火葬せにゃんごつどんなりゃ、こりゃ大事じゃけんち云うて、お 父っつあんの村長しとんなさったとき、川ば真直なすごつ県に願うて、工事のあったったい。 出来上ったときゃまあだお父っつあんの居んなさるうちじゃっつろか…。

そっで崖の方さん 流りょった川んあとにゃ、水たまりどんが出けとったたい。あすこんにきば馬捨場ち云よっ た、初手、死馬ばし捨てよったじゃうか。

  昭和の初め頃ほーんに大雨ん降って、川端のにきの大分大水で被害の出たりしたけん、土 手ん出来(け)たたい。土手の出来たつはよかったばってん、川底ば砂利よりか、もいっちょ 下の粘土んとこまで堀り下げのあったもんじゃけん、国分辺の地下水のすったりなったたい。

  明治の末頃十八師団の出来て、師団の水道の源になる井戸ば名入の上の白川(しらこ)に作 ってからが、国分のうちへんの水の出の悪うなったけん、八枝の福田の藪んとこに水源池堀 って、うちの前ん道の下ば、ずーっとくぐらせて薬師さんの前さん出したけん、どうやら水 も出るごつなった。大正四年のうちの火事のあとに工事のあったつたい。

そりばってん高良 川の川端の竹藪ぁ切れてしもて、砂利ふるいはするしで、また地下水の出のだんだん悪うな りょったりゃ、その上川底堀り下げんあってからがぱったり悪うなったたい。水ば吸い込む とこんなかごつなったもんじゃけん、そっでまた川原ん"すいこし池"から地下通して、八枝 ん水源池の横の溝さん高良川の水ば引いて、田の水の乾かんごつしたばってん、もう家ばっ かり出けて、洗い水のみんなそりさん流れ込むもんじゃけん、どぶんごつなったたい。


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