つづらの棚田

朝日がさし始めると、空への階段のように光り始めるつづらの棚田。山肌に浮かぶその曲線は、 何百年の歳月をかけ、人と自然が織りなしてきた美しさをたたえています。 


つづらの棚田は日本の原風景

「1枚足りないと思ったら傘の下」という逸話があるように、たとえ一株でも多くと、斜面を一鍬づつ起こし石を積んでつくりあげた棚田は農民がつくった日本のピラミッドといわれています。全国の棚田は約22万ha(日本の水田の約8%)で、その貯水量は黒部ダム4個分(6.6億トン)といわれ洪水の防止の役割も果たしてきました。しかし、機械が入りにくく重労働となるために、収穫は平地の7〜8割。減反、過疎化、高齢化でまっさきに荒廃への道をたどった棚田ですが、今、日本の原風景として大きく見直されつつあります。標高500mの高地にあるつづら集落も、林業の衰退で人々が山をおりて僅か10世帯となり、300枚の棚田は地元の力だけではもはや守れないところまできています。「先祖が残してくれた遺産をどう守っていこうか」。地元では保存への取り組みと葛藤が今なお続いています。

右上/朝もやのなか、棚田のあぜ道をなかよく学校へ。
右下/秋の収穫。

 棚田を保存する動きの中で「浮羽町の自然や文化遺産を守るということと石垣を保存するということは同じ。棚田の保存は石垣抜きでは考えられない」という声があちこちできかれていました。「職人さんがいなくなりつつあり、このままでは伝統技術も先祖からの大事な通産を失ってしまう」と、樋口教育長の呼び掛けで石垣職人をはじめ多彩なメンバーが集まり「石垣保存実行委員会」が結成されました。「保存会の呼び掛けを見たときゃ涙の出るごつうれしかったですパイ。ばってん、石垣のことなどもうみ−んな忘れてしもうちょる。石垣は俺達の時代でもう終わった。そげん思うちょりました」結成会の夜、いつもは無口な老職人さん達はいつになく饒舌でした。保存会がまとめた一冊の冊子に、石垣職人松岡隆成氏の語りがあります。

石垣を守ることは
浮羽の文化を守ること

尖った部分を面に出せ
平面は石が死ぬる生きた石垣をつけ


 私は人生の中で素晴らしい先生に恵まれた。昭和28年の大水害の8月、父が死んだ。定時制高校1年の時である。父が残したものは2反ほどの田畑のみである。それでは食えない。父は死ぬ前に「お前は敬太さんの弟子になれ」と遺言のように言い残していた。そこで敬太じいちゃんの息子さんの松岡教夫氏に、29年の正月に正式に石工職人の弟子として入弟させていただいた。

棚田は営々と人の手をかけて守られている。
その後、先ず、1年間は先生のところに石を担い同じ形のない石をどのようにはめていかれるかを見る。カネや勾配など、帳はりも立てず実に見事に石垣が出来上がる。見はめ(目測)の大切さを会得する。大きい石は、金てこや先ヤリ、木でこ等で思うように石を動かされる。下の石3点、4点と合羽(はめの口)を合わせる事は最初の石の見はめが非常に大切だが、なかなかわからないものである。 その頃は真冬でも手袋はなく素手で石や金でこを握ると、寒さでそれがバリバリと手にくっつく。冷たい川の中の根石入れ、又ドブの中の石、動くものではない。飯場では朝飯炊き、夕食後は人夫さんたちの食器を大おけ3杯冷たい谷川で洗い、石ではさんだ指先はうずき、涙したものである。全部の指の爪は何回もはえかわり「指をはさんでいる間は技術がのびている」と先生にはげまされる。風呂は人夫さん達が終わった後、一番最後に入る。みなそうした。苦労の末、立派な職人として多くの石垣を残しておられる。 敬太じいちゃんはよく手のこぶしを石に見立て「尖つた部分を面に出せ。平面は石が死ぬる。生きた石垣をつけ」とよく言われた。町内にあちこち素晴らしい石垣がある話。そのうちのひとつ。本仏寺の石垣は敬太じいちゃんがつくったと聞いたことがあるが、今見ても本乱積みで一つ一つの石が生き、寺勾配で石垣全体に風格があり、見れば見るほどほれぼれとする。じいちゃんは人間国宝だと話したことがある。 昔の石積み技術を持つ町内の職人諸先輩も高齢であり、あと10年もすれば技術はとだえてしまう。ほれぼれするような職人芸、石垣職人はいなくなるだろう。何とか残したいものである。

棚田に水がはられると、鏡のような階段が現れる。水は竹樋で、上から一段、また一段と流し込まれていく。棚田は、田植えから収穫まで一日として同じ風景がないほど表情豊かである。


平成7年の秋、まちづくりグループうきは夢酔塾の会員のひとりの「彼岸花のきれいなところがある」という一言からこの風景をみんなに見てもらおうと棚田コンサートが企画されました。ところが、台風の直撃でコンサートは幻に。ここまで頑張ったのだから来年こそは成功させようよ」と塾生と地元が一体となり、翌年「棚田inうきは彼岸花めぐり」が始まりました。

なにもない山里です自然の美しさと優しさをお持ち帰りください。

●棚田inうきは彼岸花めぐり

 9月の中旬、黄金の稲穂と深紅の3万本の彼岸花を見ながら山里を巡る、このうきは流のもてなしにあふれたイベントは口こみで広がり、今では期間中2万5千人が訪れます。こうして静かに守られていた棚田は、浮羽町の象徴となりました。平成11年には第7回日本の美しいむら景観コンテストのむらづくり対策推進本部長賞を受賞、「棚田1inうきは彼岸花めぐり」が第3回ふるさとイベント大賞優秀賞受賞、農林水産省による日本棚田百選の認定、KBC水と緑の大賞優秀賞受賞など、次々と評価を受けます。2000年には棚田新世紀(タナダルネサンス)をテーマに全国棚田サミット」が開催され公募で集まった30名のボランティアガイドが八面六臂の大活躍、訪れた人から惜しみない拍手が送られ、はやくも初代OB会が結成されています。

上/彼岸花。別名曼珠沙華は梵語で赤い花という意味。もともともぐらよけのために畦道に植えられ、水にさらせば
よいデンプンが取れることから飢饉の非常食としても使われた。 右/斜面地のかたちにそって、棚田はゆるやかな曲線を描く。

●棚田オーナー制度

このつづらの棚田で、5月初旬の田植え準備(5月の田植え祭り)、草取り(7月)、稲刈り(9月の収穫祭)など、実際の米づくりを地元農家の指導で体験できるのが「棚田オーナー制度です 

田植に稲刈り棚田で汗を流すとうきはから
ばさろ贈り物。

 昨年4万円で棚田のオーナーとなり、収穫したお米は精米され年3回届けられます。この地区の女性グループ「山の幸」が作る野菜や山菜を加工した自信の品々、甘さをたたえた梨や柿、「四季の舎ながいわ」の利用券のおまけ付。平成13年は111組が応募し抽選になるほどの人気を集め、7割が継続組として棚田へ今年もやってきます。問い合わせ浮羽町棚田保全協議会(浮羽町役場情報・振興課内)TEL09437-7-2111FAX 09437_7_7820

上左・右・地元農家の指導で・田植え体験。
右/昼と夜の温度差が大きく、浮羽の清らかな水で育つ棚田のお米は・
全国でも評判の上質米。オーナーが収穫したお米は精米され、10kgが
3回届けられる。自分で収穫したお米はなおのこと美昧。
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