三一、十景の俳句

第五十四世座主忍章僧正は寛政元年出版された「俳諧拾玉集」に左のような序文を物している。

筑後高良山の十景は、九重のうちに聞こえて百有餘年の詩歌、あげてかぞうるにいとまあらずといはども、俳諧の發句に至りては其景題に應ずるものなし。さるによって此度泉守庵東義をちこち国々の佳句を求めて此宮にをさめん事を希う。寔に切なる志願とも云べし。猶月に花に俳風の栄耀えいようをかかがやかし侍らむ事をとこしへに祈るのみ。

尚同書には、「玉垂宮奉納」「題高良十景」と寂源の選んだ十景に因み廣く天下の俳人の句を載せている。其のうちの一部を紹介しよう。

竹楼春望

楼の見渡し蒼し竹の歌            忍章

たぐひなや一目に六の国春        河州素梅

竹楼や葉越に蝶の朧影            永言

吉見万花

此山のどちら向きても花見かな      大阪談夕

打きする吉見ぞ花の錦かな          紫芳

みよし野へ吉見か嶽や花の雪         羨乎

御手洗蛍

御手洗やほたるの比は闇もなし      越前紀友

幾夜来て猶みたらしの蛍哉          白暁

休む間は苦をみたらしのほたる火や   イクハ錦川

朝妻清泉

むすびては夏わすれ井や神ごころ     大阪卜志

かしく手の鍋にもさゆる清水哉        泥牛

朝妻の砂明らけしわくいづみ       長崎其石

青天秋月

めぐりあう月の住家や青天寺       京 桃水

青天の夜やこさらに月の照り       東武一蝶

名月や空も青きかはらのおも         二半

中谷紅葉

中谷や朝という日のはつ紅葉         兎十

神鏡に醇添う谷の紅葉かな       スルガ煙里

鐘の音も色ある谷のもみじかな        柿蔕

不濡山驟

不濡山除ヶてや谷のしぐれかな      濃州雨夕

鹿を追う人もつくづく時雨かな        白駒

ぬれせぬや三百餘歳はつしぐれ        指帆

鷲尾素雪

鷲の尾の雪に上見ぬ山路かな       勢州三夕

絵師も筆捨てん鷲の尾雪景色       濃州歌月

鷲の尾や富士はともあれ峰の雪        泰秋

高隆晩鐘

夕霜に鐘のひびきや高隆寺        大阪沙睡

高麗に吼かけてし雪の鯨かな       長崎路友

鐘古し明けては暮るゝ千々の秋      京 巳桃

玉垂古松

玉垂や昔ながらの若みどり          虎遊

露の玉千枝に垂るゝや嶺の松       肥前秋水

峯に跡垂るてや霜の千代見草       願主東義

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