寂源僧正と十景詩歌
三○、寂源僧正と十景詩歌

第五十世座主寂源は一如と号し、又不濡山人とも称した御井寺中興の名僧である。書を加茂家の筆意に学び、詩歌の道にも堪能で又理財の道にも長じて居た。「高良山神社佛閣記」を初め多くの著書があり、又神籠石の保存を計った事もあり、現御井寺本堂前の「蓮台院」、宮陣村国分寺本堂前なる「国分寺」等の扁額を初め各所に其の筆跡が残って居る。高良山杉の基を初めた事は前述の通りであるり、愛宕社を隈山より現位置に移し、又山中の廃寺極楽寺を起こして則心(厨家の出、後年は毘沙門谷に草案を結び四十五年間の仙適生活をなす)をして住せしめしなど、高良山在住十九年間語るべき多くを残して居る。

寂源は又高良山の名称にして其の名の天下に聞こえないのを嘆き、附近の名所十箇所を選んで高良山十景と称し、京師に上って禁裡に奏し、親王門主公家雅客にして詩歌に名ある二十名に請い、一詩一歌の自筆吟詠を集め巻帙と為して藩主の覧に供したが、藩主も大いに感観の末、錦繍の表装を加えて一帳となし是を神府に納めた。其の十景詩歌は次の様である。

竹楼の春望                             妙法院宮二品親王尭恕

竹楼百尺青穹に傍う 萬里の山川目力窮す 柳色淡濃花遠近一望處として春風ならざるはなし

楼の上は春こそことにくれ竹のよのつねならず霞むうみ山 近衛左大臣基熙

吉見の満花                                転法輪大納言実通

一嶽峻崢として九天に聳ゆ 桜花四に発して更に嬋娟 径に芳野を移して春色を添う

圧倒す崋山玉井の蓮

                                       今出川内大臣公規

あかず見むよしみが嶽の花盛り わきてことなる春の色香を

                  御手洗の蛍              柳原大納言資行

玉垂在昔斯水に臨む 神述芳を流す橋上の名 御手洗の餘滴散るかと疑うう 光を擬し衿り照らして宵行を作す

○                                     日野中納言弘資

くるゝ夜はほたる涼しく川風に みだれ橋てう 名も朽ちずして

    朝妻の清泉               高辻中納言豊長

朝妻の風景尽く新奇 松録に杉青して四時に伴う 湧出す清泉林丘の下 霊従雄地総て

相宜し

○                                       国大納言基福

汲みてしる心も清し神わざも 代々にたえせぬ朝づまの水

青天の秋月                                花山右大将 定誠

寺は青天と称す 清嶂の頭 高低一望点塵納まる 啼猿樹上深秋の月 特り行人萬里の愁を照らす

○                                         中納言通茂

寺の名を月にもしれと秋風や あいより青き空にすむらん

  中谷の紅葉              柳原侍従秀光

青女染め成す日夜の功 満山処として霜風ならざるはなし 疑う瀑布千尋の白きを将て 変じて秋梢一様の紅と作すかと

○                                        日野中納言資茂

秋をしる色もみえけり松竹は 時はの中の谷のもみじ葉

不濡山の驟                                   伏原少納言宣幸

朝風吹き散らす濡れせぬ山 幾度か変ず浮き雲頃刻の間 是れ紫陽奇絶の所なるべし 晴れと作り雨と作て転た清閑

○  阿野中納言季信

この比はなのみぬれせぬ山姫の 袖もほしあえずうる時雨かな

鷲尾の素雪                                     東園宰相基量

勝処従名自ら伝う 時に景物を添えて更に憐れむべし 何人の詩思か銀海を揺す 鷲尾峯頭雪後の天

○                                         烏丸大納言光雄

積もりそう雪の日数を重ねあげて いとどうへえ見ぬ鷲の尾のみね

高隆の晩鐘                            勘解由小路従四位下侍従韶光

樹老い径荒れて煙水清し 高隆の遺跡昔年の名 唯今猶鐘楼の在る有 担出す黄昏三両声○                                          平松中納言時量

山高みたかき甍はいるくもの そことしらする入相のかね

  玉垂の古松                                   竹内二品法親王

瑞玉垂れ伝う 古廟宮 威霊在すが如く今に至って同じ 老松風度りて神曲を起こす 成徳遺瞻仰の中

○                                           白川二位 雅喬

末たかき松やしる人玉たれの 宮居久しきむかしがたりを

源寂は又自ら十景の詩歌を作った。即ち左のとおりである。

 竹楼の春望

竹を葺く半穹に聳ゆ 短簷景を聚めて興窮り無し 春來添え得たり六宜の外山川花柳の風○

永き日も詠めにあかずくれ竹の よにたぐひなき楼のおちこち

吉見の萬花

最も愛す吉峰三月の天 山桜笑みを含んで玉嬋娟 吾盧今衆香界に接す 轉た憶う遠公の白蓮を結うことを

咲く花のよしみがだけや三芳の野 春におとらぬさかりみすらむ

御手洗の蛍

千古の霊神垂降の日 渓流手洗の小橋の名 丹良今昏衢の燭を乗て 山僧に分與して夜を照て行しむ

暮るゝより蛍涼しくみだれ橋の した行く水にかげをうつして

朝妻の清泉

神功の垂跡地尤も奇なり 混々たる瑟泉盡くる時無し 遊客帰るを忘る三伏の日 流れを枕とし石に嗽いで両相宜し

朝づまの清き流れにすゝぎても にごる心はすむとしもなし

青天の秋月

青天の蘭若一峰頭 月は碧松を浸して¥烟霧散る 昼夜眠らず玉垂の裏 西欄影落ちて人をして愁へしむ

雪はみな拂ひつくして秋風に 青き天行くつきのさやけさ

中谷の紅葉

山間の秋景天功を見る 飛瀑高く懸て岸楓に酒ぐ 風後一泓中谷の水 玻璃盆猩紅を貯う

瀧の糸にもみじの錦おりはえて あらうと見ゆる中谷のみづ

嵐を結んで我を置く不濡の山 液雨陰晴丘壑の間 雲去り雲来る空洞裏 無心更に老僧の閑に伴う

風に去る峰の木の葉の時雨には さらにぬれせぬ山かづの袖

鷲尾の素雪

遮る莫○橋古意を伝るを傳るを 鷲峰今日最も憐れむに堪へたり 更に看る結習衣を染めて去ることを無数の散花雪裏の天

○松かぜのおとさへ絶えて降積る 雪はましろの鷲の尾のみね

高隆の晩鐘

高隆の遺跡鮮苔清し 境は詩章に入て再び名を播す 一杵の楼鐘山樹の裏 両三驚和す晩鴉の聲

かげ高く隆ぶる寺の木の間より 響き出たるいりあひのかね

玉垂の古松

洪基年久し玉垂の宮 国鎮巍々として古今同じ 更に長松天籟の韻を借りて 三たび萬歳を叫ぶ白雲の中

十がへりの花も幾たび契りてか 松もとしうる玉たれのかみ

 もと寂源は山城国上賀茂の祠官藤木敦直の男で、寛文九年(紀元二三二九年座主となって下向した人であったが元禄元年帰郷の後、京都上賀茂の西、鷹か峰に閑居し同九年十二月二十三日、六十七歳で入寂した

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