矢部村農業協同組合のあゆみ

農業協同組合の発足

現在の矢部村農業協同組合

現在の矢部村農業協同組合

農業会の前身、産業組合法が制定され、全国に組合が結成されたのは、明治三十一年(一八九八)である。当時の農商務省の調査によれば、三百四十六組合が誕生している。矢部村では相当おくれているが、設立年は資料がなく、さだかでない。

その後「農会法」の公布などがあり、後に信用、購買、販売、利用組合から農会など、戦前は幾多の変遷をたどっている。産業組合法が制定された当時は、二十世紀の初頭にあたり、日清、日露戦争の中間の時期であった。昭和十五年の調査によると、全国で組合数は一万四千百組合にのぼっている。

昭和十六年、日本は太平洋戦争に突入して一挙に戦時統制経済に入り、農村においても戦域の拡大に伴い多くの有為な青年が戦場に送り込まれていった。 農山村の働き手は高齢者や婦女子だけとなり、就農者の形態が大きく変わった。

組合も食糧増産と共に貯蓄増強、国債の消化、食糧の供出など戦争遂行のため、統制経済下にあって苦難な組合運営に当たった。

戦争が熾烈化していった昭和十八年二月、農業団体法が制定され、福岡県下では同年十二月、産業組合から農業会として発足し、すべての農業者は農業会加入が義務づけられた。
当時の農協役員

当時の農協役員

戦争が終結し、昭和二十年十二月、連合軍総司令部は農地改革に関する勧告いわゆる農地解放令を出し、戦後の一連の農業改革が始まった。

昭和二十一年十二月には、第一次農地改革が行われ、農村の組織基盤、農民の階層構成が改革されたことは画期的なことであり、農村民主化の第一歩といえよう。

「非民主的利害に左右されず、かつ日本国民の経済的文化的進歩を目的とする農業協同組合の醸成を図ること」というのが連合軍総司令部の覚え書きの一部である。これが日本の農業史を変える「農業協同組合法」改正の契機となったのである。

この「農業協同組合法」は、昭和二十二年十一月に制定された。この立法の意図に一貫していることは、新しい農協制度と農地改革の成果を保障する日本農村の民主化を重要な柱として農民の経済的、社会的地位を向上させる自主的活動組織の確立を目指すことであった。

この農協法の成立によって、県下では昭和二十二年に糸島郡福吉農協がいち早く誕生している。続いて県下各市町村単位で総合農協、専門農協が次々と設立され、昭和二十二年末までに三百三十七組合が誕生した。

矢部村農業協同組合は、昭和二十三年七月に設立され、登記を完了している。

こうして農民組織が戦前の行政指導型から民主的協同組合に生まれ変わったのである。

設立当初は、敗戦の痛手から物資、食糧、燃料等すべてが不足し、物心両面にわたってかつてない苦難の時代であった。

昭和二十三年六月六日、矢部村農業協同組合の設立総会を開き、次のことが満場一致で可決され、発足した。

  出資口数  千三百四十九口    出資額   十三万四千九百円             (一口百円)

初代組合長に森山仙次郎氏が就任した。

戦後の物資不足、農村疲弊のため農協の担う役割も大きく、食糧、肥料、衣類などの調達、配給の仕事は大変であった。燃料が不足していたので、木炭の製造、供出を奨励したので、木炭生産が飛躍的に伸びた。

以来、今日まで組合員の熱意と努力により、製茶工場、共同集荷場、農業倉庫、資材倉庫、生葉貯蔵庫、給油所、事務所および購買店舖、栗選果場、購買部の増築、灯油など販売所、C・Dコーナー、有線放送事業などの施設を取得している。
矢部村農協落成式(昭和和43年10月)

矢部村農協落成式(昭和和43年10月)

歴代組合長</td

歴代組合長

有線放送事業は、農山村漁村助成事業として、三カ年計画で、事業費二千万円(国庫補助金四百万円、矢部村助成金六百五十万円、農協五百五十万円、その他受益者負担金)を投じて完成した。設立当初、受話器六百九十五個、スピーカー百七個であった。しかし、諸般の事情により中心地が除外対象区域となり五百戸あまりに減少した。その後、陳情などにより除外区域は解除され、全村に普及した。当時情報の乏しかった村にあっては、生活、文化、通信に大きな役割を果たしてきたが、電話機の普及により現在は放送だけになっている。

そのほかプロパン・ガス事業や預貯金業務のオンライン移行による事務の機械化を進め、内国為替業務の資格も取得した。

共済業務は、昭和三十年から事業を開始し、現在二百三十億円余りの保有高になっており、組合員の災害や生活保障等に大きな役割を果たしている。

さらに農協の関連事業として、昭和五十三年高齢者沽動センターの食品加工部門を担当し、昭和六十年から農協の直営事業として食品加工にあたり、生コンニャク貯蔵施設(夏場貯蔵可能)、梅干、らっきょう貯蔵庫を設置した。

平成元年に開場した杣の里渓流公園の設立には、村の重要事業として二百万円を出資し、農協も理事の一員としてその運営に参画している。

茶畑 矢部特産物共同販売所

茶 畑

矢部特産物協同販売所

矢部村農業協同組合の現状

  正組合員  六百三十二人    準組合員  百三十三人    その他団体 三団体      計   七百六十八人    農家戸数  三百八十八戸     うち専業農家 五十八戸     第一種兼業農家四十二戸     第二種兼業農家二百八十八戸    耕地面積     総面積 三百二十三ヘクタール     うち水田百四十一ヘクタール     (現在作付面積 十一ヘクタール)

普通畑  九十五ヘクタール  果樹園  四十五ヘクタール  その他  四十五ヘクタール      役員および職員数   理事  七名  監事 三名   職員  二十三名(別に臨時八名)

農協の合併間題と将来の展望

金融の自由化、農産物の輸入自由化など農協を取り巻く情勢はきわめて厳しいものがある。農協には長い伝統があり、地域の農業振興の中心となっているが、問題は山積している。

福岡県下の農協は、経営基盤と事業機能の一層の強化を図るため、昭和四十八年二月の第二十二回福岡県農協大会で県下農協二十三組合の再編成構想が決議され、目下合併を推進している。当時百五組合があったが、平成元年五月現在六十七組合と広域合併が進んでいる。現在二十三構想未完地区が十五地区残っている。

八女地区においては、この構想のもとに、八女東部の四農協(矢部・星野・黒木・上陽)合併について二年問研究し、一年おいて八女地区一円、八女、筑後市を含む合併について二年間推進委員会を設置して研究したが、諸般の事情により実現するに至っていない。

農業の国際化、金融の自由化が急速に進展し、農家組合員の高齢化などもあり、情勢に即応した機能を発揮できる合併は、きわめて重要な課題である。

県の指導もあり、平成二年四月、八女、筑後市、福岡立花、広川、黒木、上陽、星野、矢部の八農協合併研究会が発足した。それによると、平成四年ないし五年をめどに合併を促進することになっている。