高良太公像

(天台宗)

正福寺本堂マウスを上に「扁額」

久留米国分町日渡所在。山号は鎮護山、本尊は阿弥陀如来。寺伝によると天長年間(824834)草部鶴見麻呂という武人が、勅命により三韓に兵を進めようとしたが、暴風にあって難船、高良大菩薩を念じて難を逃れたため、毘沙門天(高良神の本地)と高良大菩薩の像を安置して同寺を創建し、高良山座主照鏡の高弟了信を請じて別当としたという。往時は寺域方6町、領田数十町、僧舎15区があったと伝えるが、その後衰微し、天正年間(15731592)ついに廃滅した。宝暦年間(17511764)高良山極楽寺の住持即澄が日渡に隠居して再興、高良山の末寺となる。明治2(1869)高良山御井寺(座主院)が廃されると、翌年久留米藩は当寺に10人扶持を与えて御井寺の寺号を存続させたが、やがて御井寺が再興されたため、明治12(1879)旧寺号に復した。准胝観音像(旧御井寺内仏)高良太公像、亮恩僧正(57世座主)寿像、干手観音画像などを蔵するほか、境内に伝説の毘沙門堂、55世座主伝雄僧正建立の一字一石供養塔、亮恩僧正建立の金剛般若経供養塔などがある。


石門と石塔の立つお庭


本尊の阿弥陀如来(マウスを上に)

不動明王(まがたまの飾り) 千手観音画像




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亮恩僧正寿像
(嘉永6年・1853)
厨子入五尊像(鎮宅法本尊) 准胝観音像(旧御井寺内仏)




厨子の扉の表と裏の素晴らしい彫り細工がありました。
裏扉 表扉







正福寺ご案内
ゼンリン地図より