小作料引き下げの闘い

地域分散的闘争の段階では小作料引き下げをめぐる闘いも展開されている。例えば山本郡では4月19日に常持村(現市内大橋町)で下作定について集会が持たれ、5月4日には下作定について立札が建てられ、竹野郡では4月末に石垣村や梁瀬村(以上、現浮羽郡田主丸町)でも下作定の要求が起こり、梁瀬村では長百姓の打ち崩しにまで発展しようとしている。しかし、下作定の具体的な要求は資料も少なくあまり明確ではない。「宝暦4戌3月日記」(本庄弘直家文書)に常持村の下作定についての立札に関する記載がある。これによって農民たちの下作定についての要求の一端を見てみよう。

5月4日の夜、下作料の件について大橋・善導寺・片ノ瀬橋・恵利の三角に立札が立てられた。それを写し取ったものとして全文が掲げられている。

此の内より御郡中小百姓、所々へ相集まり、下作方の相談仕り居り申し候処、御奉行様御越し遊ばされ、下作方の儀は前々より相極まり申し候儀を、大勢相集まり候て、此の節地主へ元定銀米、只今迄の通り作り候様に仰せ付けなされ、其の上連判書物御取り遊ばされ候儀にて御座候え共、定方の義に付き申し上ぐる覚

一夏成銀の儀は、前々は上畑壱反に付き四拾匁銀にて20目、中畑15匁、下10匁、下々7匁宛にて相極め居り申し候処、其の後段々地主替わり、旁にて、只今にては上畑壱反に付き80匁銀30目より段々、13匁に罷りなり居り申し候に付き、百姓中、田地等も所持仕り居り申し候えども、近年不作にて、居屋敷等も所持仕らず候様に罷りなり申し候に付き、右銀高の内、三割引に相払い候様に御慈悲の上を以て、仰せ付けなされ下され候はば有り難く存じ奉り候事。

一 秋定の儀も、夏成銀同前の儀に付き、前々は上田壱反に付き四俵半、中田四俵、下田三俵迄にて御座侯所、右申し上げ候通り、段々地主替わりに付き、只今にては上田六俵より段々三俵半迄に罷りなり申し候間、壱割五歩ずつ下り侯様に御慈悲の上を以て仰せ付けなされ候はば、有り難く存じ奉り候。右の通り宜敷様に仰せ上げなされ下さるべく候。左御座なく候はば、当月15日迄の内、小百姓中、御城下へ罷り下り直に御願い申し上げ候。以上

すなわち、下作定について地主がしだいに夏成銀を引き上げてきたため、居屋敷も所持しないようになっているので、3割引きにするように、また、秋作についても上田一反では6俵(3割3分以上の増加)になっているので1割5分ずつの引き下げに申し付けてほしい。もしそうでないなら、15日までには小百姓我々が城下へ直訴するというのである。この立札が立てられた地域をみると、山本郡から竹野郡にまたがる地域であり、ある程度広範な下作定の闘いが藩庁に向けてもしくまれたといえる。ただし、この結果がどうなったかは不明である。