農民への藩回答

さきに述べたように、一揆の直接的原因となった人別出銀令については、家老有馬石見などの活躍でいちおう3月末に撤回の約束がなされたが、農民からの要求事項についての正式回答は、5月付けで藩庁から出されている。それによると、生産物地代に関するものの中で、過去23年間の検見の実績に基づく滅免要求は、藩としては容認しがたいものであったと思われる。藩はこれに対してなんら回答していないが、この年の藩の年貢収納高が42万5016俵であり、正徳4年の44万6400俵には及ばないが、それ以降幕末までの最高額であるところから見て、この要求について藩は全く譲歩しなかったのではなかろうか。なお、「御囲米御免」や「撰米御赦免」および検見に関する要求はこれを受け入れている。

貨幣形態での増徴反対の要求に関しては、人別銀の廃止、相場による夏成銀の納入、牛馬直売札運上、油船運上の廃止はこれを許容している。しかし、荷棒・繰綿・茶・煙草・諸紙・絞油などの運上銀は、近来増額したことはないとして拒否し、見世札についても従来の規定で取り立てると言明している。更に、酒札運上については、増徴によって勝手が悪くなるのなら、商売をやめよと極めて強硬な態度をとっている。これらのことから見ると、藩は臨時的なものや部分的なものについては譲歩しているが、恒常的な貨幣収入源としての性格を持つ諸運上銀や印銀については、滅免を一切拒否しているといえる。

次に商品流通の自由を求める事項についての回答は、特に別紙覚書の中に、極めて厳しい内容で示されている。米・大豆・雑穀類や、辛子・荏子・胡麻など油になる物品は、印手形なしでの他領移出入を認めないとしている。染藍・紅花・絞油・晒蝋についても同様に許可できないとつっぱねている。ただし、領内流通手形の願いは、米・大豆そのほかすべての商品について許可するとし、油粕・酒粕などの他領移出禁止は金肥使用の増大による領内での品不足を考慮したのであろうか、これを受け入れている。紅花・染藍・櫨などの問屋廃止の要求については、なんの回答も見られない。したがって商品流通の自由にかかわる要求では、要するに領内での流通に関するもの以外は、全藩的一揆の圧力をもってしても実現できていないのである。

最後に、藩政批判や大庄屋罷免などの要求の中で、藩政批判に関する問題は無視したのであろう、回答には全然見当たらない。大庄屋などにかかわる問題については、「大庄屋共に役人中より追て申し聞かせ候事」などといちおう聞き入れる素振りを見せている。なお、大庄屋の銀米取り込みなどが考えられるような問題では、「大庄屋共相対にて、追て訳相立つ趣に相聞こえ候。上より相渡さるべき品これなき事」と回答したので、以後これをめぐって、組や村で地域分散的闘争が展開されることにもなるのである。