古刹のある風景

  ●彼の国より来りて
朝倉郡杷木町志波の名刹円清寺は、曹洞宗のお寺、山号は竜光山と称し、慶長九年、1604年、黒田孝高(長政の父如水軒)の老臣、栗山利安(大膳の父)がこの主人のために建立したと伝えられています。
実際には、大同4年、809年、筑後国本郷城主であった三原時勝の草創で、本尊聖観音を安置していましたが、やがて洪水で境内崩壊し廃寺になってしまったのです。栗山利安は、その観音をそのまま本尊としておさめ、寺の名もこの時以来、円清寺と名付けられたと伝えられています。

さて、その円清寺の山門をくぐるとまず目に入るのが鐘楼、大正元年に国宝の指定を受けた「朝鮮鐘」があります。
日本に伝わる朝鮮鐘として最古のもので、年代は新羅末期または高麗初期とされ、つり輪の彫刻が美しく天女のレリーフも優美にほどこされています。この鐘は黒田長政の寄進といわれていますが、『筑前国続風土記拾遺』や『円清寺略縁起』によると、慶長5年、1600年に黒田孝高が、豊後国豆田城を攻めた時、同国日田郡渡村の長福寺から持ち帰り寄進したものとあります。

遠く異国の地より運ばれ、現在の地を安住の地とする朝鮮鐘。
鐘楼の中にさりげなく置かれた鐘は、その美しい姿とともに哀調を帯ぴた音色で、今も変らず人々に愛され、毎年NHKのゆく年くる年で、除夜の鐘として紹介され、人々の煩脳を鎮めています。
なお、この寺には孝高・長政公をはじめ栗山父子の画像、八代目円清寺夜雨禅師の書や草稿など貴重な文化財が所蔵されています。歴史的に有名な黒田騒動の史実を知るよすがともなっています。



      円清寺
  ●仏の慈顔に包まれて
 普門院

杷木町のもう一つの名刹普門院は、真言宗のお寺、山門をぬけるあたりのひそやかなたたずまいは心が洗われるようです。この寺の歴史を物語るのは樹令1000年の白檀の古木、かぐわしい木の下にたたずめば、一気に歴史がもどるかのようです。

普門院は聖武天皇の勅願道場として神亀元年、およそ1250年前、行基僧正による開山といわれ、応仁の兵乱の災禍をまぬがれ、今日まで天平仏の慈顔をとどめています。
本尊十一面親世音と、それを祭る本堂とは重要文化財に指定ざれ、ほの暗い堂の奥に安置されています。
人々の祈りの姿が仏の慈顔に重なります。

朝倉町の真言宗医王山南淋寺の門は、ごく最近まで「八坂ん門はいらん門」といわれながら朝倉町八坂の村の真中に建っていました。今は寺のすぐ下に移されていますが、柱の根元は朽ち果て、永い歴史を物語るかのように静かに建っています。
門をくぐり、せまく急な石段を登ると右に鐘楼、正面に本堂、その左に薬師堂があります。
春、木々の白い花が香る頃になるとお遍路さんのお参りがはじまります。
夏の蝉時雨と滝の音、秋のもみじと季節は巡り、大銀杏の葉が散る頃にはお参りの人々も途絶えてきます。
霜の朝には、落葉たく煙がいつまでも消えずに漂っています。
  
南淋寺:花祭り

              安長寺バタバタ市
  
  ●静けさと祈りの日々
甘木市の甘木山安長寺は、その昔甘木遠江守安長が建てた寺といわれ、八日の市の立つ日に多くの人々が集まります。小雪の舞うような寒い1月14・15日に行なわれる初市はバタバタ市と呼ばれ、山門に大きなバタバタ(素朴で可愛い紙太鼓)が据えられます。境内は線香の匂いに包まれ、地蔵尊に願いをたくす人々で埋まる、何とも庶民的であたたかみのあるお寺です。この他にも、甘木、朝倉地方には数多くの名刹がありますが、どこも変らぬ静けさと祈りの日々に包まれ、仏法の里と呼ぷにふさわしいおだやかな雰囲気を留めています。

●南淋寺こぼれ話
南淋寺のはるか昔をたどってみると、そもそも最初は、天台宗の寺だったといわれています。
やがて、それが、相続問題のもつれから曹洞禅宗に転じ、さらに近世を迎えて、真言宗に転じた。
その禅宗から真言宗への転換については、次のようなエピソードが語り継がれています。

17世紀の半ば、ある年、福岡の東光院に藩主忠之公が参詣。
その時、その飼猫がたまたま御前に顔を出し、家臣にカツオ節をもらったが、猫はそれを食べようとしなかった。
忠之公は、当時の住職が戒律をよく守り、カツオ節を食しないので猫も手を出さぬのであろうと感心され、自身が信仰する真言宗とするよう命を出されて、その後、手厚く保護を加えられた。
当時、南淋寺は東光院と同じく最澄の刻んだ仏像を本尊とする寺だった。そこで、東光院にならおうとしたが禅宗の僧侶から異議が出たため、糸島地方志摩郡岐志に南淋寺と号する禅寺を立て、そこを替え寺として、南淋寺は真言宗の寺となった。

古刹、名寺は、そのふところに思わぬ歴史を秘めています。
南淋寺のこの話はほんの一例、甘木・朝倉地方の古刹は、物生りの良い土地、すなわち豊かな土地柄で育まれた寺ということもあって、それぞれの寺がなんともおおどかな話をふところに抱いています。


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