卑弥呼の里あまぎ

 日本の三大ミステリーの1つとして論争の渦中にある邪馬台国。吉野ヶ里遺跡の発見に引き続き、最近は奈良県の黒塚古墳で出土した33枚の三角緑神獣鏡やホケノ山古墳で出土した画文帯神獣鏡などが論争に益々拍車をかけています。
 諸説がある中で、九州説と畿内説が有名ですが、この論争は古くは本居宜長(九州説)や新井白石(畿内説→九州説)、明治に入ってからは白鳥庫吉(九州説)と内藤虎次郎(湖南)(大和説)の論争があり、この二つの流れが現在までひきつがれていると言えます。
  議論の焦点としては、「魏志倭人伝」に記述されている韓国の帯方郡から邪馬台国までの1万2000余里の距離のほか、方位や日数をどう解釈するかということで、現在は「魏志倭人伝」に登場する国のうち、對馬国=対馬、一支国=壱岐、末慮国=唐津、伊都国=糸島、奴国=福岡・筑紫が明らかにされていますが、その先の国が特定できていません。さまざまな解釈の結果、邪馬台国の比定地は北は北海道から遠くエジプトに至るまで100を越える場所が候補地として名乗りを上げることになりました。
 このように邪馬台国は、多くの国民の心を引きつける古代ロマンでもありますが、21世紀中にはその地が特定され、論争も終焉を迎えるだろうと言



   甘木は邪馬台国東遷説の震源地

 明治43年東京大学教授で東洋史学者の白鳥庫吉は、「魏志倭人伝」の卑弥呼に関する記述と「古事記」「日本書紀」の天照大御神の記述が酷似しており、天照大御神は卑弥呼を反映、高天の原は邪馬台国を反映しているとの考えを示し、この考え方は後に哲学者の和辻哲郎にも受け継がれ、邪馬台国東遷説へと発展しました。
「古事記」「日本書紀」の神話と「魏志倭人伝」との間の相関関係を主張する同様の考え方は、「まぼろしの邪馬台国」の著書宮崎康平など多数の研究者に支持され、邪馬台国九州説を補強することになりましたが、最も注目すべきは、昭和42年に産能大学教授安本美典文学博士が「魏志倭人伝」のほか、古事記・日本書紀、考古学の見地に加えて、数理統計的手法を駆使して打ち出した邪馬台国甘木朝倉説です。

 彼はその著「最新・邪馬台国の道」で次のように持論を展開しています。

@「魏志倭人伝」の記する事実 A「古事記」「日本書紀」の神話、伝承の伝えるところ B考古学的事実から科学的に導かれる邪馬台国甘木説・・・・

     天照大御神=卑弥呼   高天の原=邪馬台国

     邪馬台国=甘木     邪馬台国東遷説=大和朝廷



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