9.安長寺と地名の起り

仙崖和尚筆

甘木という地名は・安長寺の山号甘木山に基づくというのが、一般的に認められていて、角川版『福岡県地名大辞典』にも載せられている回これは安長寺縁起によるものである。前にも述べたように、町並みの起源との深いかかわりを思えば、もっともなことであろう。

全くの私見であるが、これには疑問がある。矢田の地蔵を勧請する程の信心家が、自身の姓名を山号寺号にするとは考えにくい。次に今日でも山号より寺号が親しまれているから、地名も安長寺村となるべきではなかろうか。また甘木(かんぽく)を「あまぎ」となぜ読み替えたのか、等々。

こうしたことから思い切って推測すると、安長寺建立のとき、このあたりは既に「あまぎ」と呼ばれていたのではなかろうか。この地に派遣された荘官が寺を建立するにあたり、土地の名から山号を漢字で甘木山とし、庶民安泰の祈りを込めて寺号を安長寺と名づけたと考えるのが自然であるように思える。自身の名乗りも甘木安長としたのかもしれない。


10.地誌の中の地名

江戸時代の地誌の著者達はどのように考えたのか、前に出た『甘木雑記』は「地理豊饒にして草木甘菓を生ず、故に名づけて甘木というか」と述べている。『甘木煙草種』、『甘木根基』はともに地名の起りについては触れていない。『甘木紀聞』(文政以後成立)は、戦国の代、度重なる兵火に、安長寺境内の建物すべて焼失して、荒れ果てた境内に諸人が来住して一村となり、これに山号の二字をとって甘木村と名づけたのであろうとしている。

地 蔵 堂 境  内

これは前述の戦乱により下渕村に移転したこととも符合しているし、山号→地名の考え方も無理がない。しかし、甘木村の出現が中世末か近世初めという点で問題がある。

山号→地名説は、『甘木紀聞』の記事からみて、江戸時代にもあったと思われるが、これを普及決定的にしたのは明治の末ごろ作られた「朝倉郡唱歌」ではないだろうか。〈鐘の音清き安長かんぼくおこり寺、寺の山号甘木は、此の町の名の起因にて〉と歌われているこの歌詞は、鉄道唱歌の曲にあわせて口ずさめるから、学童を通して歌い広められたであろう。



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