4.安長寺と甘木町
安長寺

     筑前千年の古刹・甘木発祥の起源・臨済宗東福寺派


安長寺古絵図 

安長寺 延命地蔵堂

1.安長寺の創建
安長寺  正門 

 仙崖和尚筆

地蔵堂 大楠 

甘木市合併の中核となった甘木町は、明治22年、もと福岡領に属していた甘木村と、秋月領であった菩提寺村が合併してできた。『筑前国続風土記』に「民家の多き事早良郡姪浜につげり」とあるように、近世においては筑前屈指の在郷町に成長していた甘木であるが、その進展の過程は明らかではない。 
 甘木の町並みの起源は安長寺の門前にあるというのが、通説になっている。
 安長寺縁起によれば、同寺は甘木遠江守安長が幼児疱瘡にかかり、大和の矢田金剛山寺の地蔵尊に祈って治癒したので、その霊異に感じてこの地に勧請し建立したという。
 甘木安長は荘園管理のために派遣された役人であろうというのが大方の見方であるが、他に記録もなく、その実像を知ることができない。
 安長寺は初め法相宗であったが、博多承天寺住職順空(円鑑禅師)が安長寺を兼摂したとき禅宗に改宗した。

臨済宗 東福寺本山(京都) 博多承天禅寺

島田寅次郎氏は創建の年代について、矢田地蔵尊創作の弘仁七年(816)から、改宗した正安年間(1300年頃)の間とし、更に、本堂の掲額「大願王」の揮毫者が、寺伝のように唐僧柏岩(伝記不祥)とすれば、唐の滅亡(延喜7=907年)以前になるとしている。和名抄に載する夜須郡六郷のなかには甘木の名はない。
 島田氏の説によって考えれば、創立後日が浅く、門前町もまだ整わず、郷の名にする程の戸数に達していなかったのだろうか。


大般若祈祷(正月4・5日)

栢岩筆「大願王」

御本尊延命地蔵菩薩像



次へ