15.秋月記念碑

黒田長興公歌碑 (垂裕神社境内)

白砂の雪にはあらで今宵猶千里をうづむ月の影かな

 黒田藩祖長興公を祭る垂裕神杜の神殿前に、「十五夜」と題して御神筆の碑が建つ。黒門から神社へ上がる階段は、旧臣たちにより造営されたことで、士族坂といわれる。四月の春祭りは、町人の祭りとして現在も盛んである。


  松田常憲歌碑 (秋月城址)

ありし日に父がひきつる大弓のむらさきの房は色あせにけり

 松田常憲は秋月町生まれの歌人、歌誌『(みずがめ)』の編集、主宰者。常憲の父民衛が祖父佐八郎と共に、弱冠十六歳で秋月党に参戦した当時を偲んで作った歌。この父はのちに秋月町長となり、杉の馬場を桜に植え替えたことでも有名。当時桜の木は、各家からも持ち寄られ、名札を付けて大事に育てられたという。

花田比露思歌碑 (秋月城址)

由緒ある城の黒門古りたりやいらかに生ふる夏草の揺れ

 花田比露思は朝倉郡安川村生まれの歌人で、『潮騒』『あけび』を主宰。
又教育者としても、福岡大学の基盤を築き、大分大学、別府大学の学長を歴任したことでも知られている。


 原古処、原采蘋の父娘碑秋月城址)

父原古処顕彰碑と並んで娘采蘋の詩碑がある。儒学者・漢学者にして詩人の原古処は、藩校稽古館の教授となり、多くの門下生を育てた。
 娘采蘋も早くから学才、文才を知られ著書を残す。


 緒方春朔顕彰碑 (秋月城秋月城址)

 わが国の種痘の始祖と称される。英国のジェンナーより、六年早く種痘に成功。遠来からも学究徒が訪れ、全国の有力藩の侍医なども数多く門下生となった。


  河野静雲句碑 (秋月城址)

ほととぎす故き心をさそいなく

 河野青雲は福岡市生まれの俳人。ホトトギス同人。俳誌『冬野』を主宰。この句は、秋月の歴史を偲んで作った作。


 高浜虚子句碑 (秋月城址)

濃紅葉に涙せき来る如何にせん

 高浜虚子は昭和21年11月、息子年尾、娘立子と共に秋月を訪れる。虚子の父池内庄四郎政忠が、武者修行の折、秋月藩師節の門弟と稽古館で試合をした昔を偲んでの句である。その時虚子七十三歳。


 高浜虚子句碑 (西念寺境内) 

「春山の最も高きところ古所」

  高浜虚子句碑

虚子が昭和21年に秋月に来た折、ふもとの古処山がよく見えるところで作った句で、句碑は古処山に向けて建てられている。


緒方無元句碑 (秋月郷土館内)

曝書番して旧臣の二三人

 緒方無元は、甘木市生まれの実業家で、ホトトギスの同人。高浜虚子、宮崎湖処子、原古処・采蘋等の句碑や文学碑などを数多く建立。この句は、郷土館で古文書や黒田家宝物を虫干しした折のことをよんだ作。


 松尾芭蕉句碑(鳴渡観音境内)

観音のいらか見やりつ花のくも

 天正年間諌死せる秋月藩重臣、恵利暢秦の忠節をいたみ音声寺が創建され、鳴渡観音となる。この句碑は、芭蕉百回忌に建てられたもの。



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