3.秋月の歴史

古  代 白山.(今の古処山)に羽白熊鷺が住んでいたといわれる。
  992 秋月荘「筥崎宮塔院所領秋月」(『石清水文書』)
1203 原田種雄、源頼家から秋月荘を与えられ秋月氏を称する。
1281 秋月種家、二千七百余人を率い弘安の役で竃戦する。
1336 秋月種貞、足利尊氏と多々良浜で戦い敗れ太宰府で戦死。
1359 秋月種道、少弐頼尚に従い西征将軍宮軍の菊池武光と宝
         満川流域で戦い破れる。(大保原の戦いH筑後川の戦い)
1524 秋月種時、大友軍に古処山城を囲まれる。墓は鳴渡。
1557 秋月種方、大友軍に古処山城を落とされて自刃する。
1567 秋月種実、占処山城を簿回。約三十六万石に拡げる。
1587 種実、秀吉軍に岩石城(田川市)で破れ芥田(嘉穂郡)で隙服。日向財部
        (のち高鍋)に三万石で移封される。
1600 黒田長政筑前領有、直之(如水の末弟)を秋月に置く。
1606 興膳善入の裏庭に教会を建てたが一六二二年壊わされる。
1623 長政の三男長興、秋月藩五万石の藩主となり秋月城築城。
1638 島原の乱長興二千五百余名を率い原城攻城戦で殊勲。
1775 秋月滞校稽占館(はじめ稽古亭と称する)を創設。
1789 藩止医緒方春朔、ジェンナーより七年早く種痘法を完成。
1810 筆頭家老宮崎織部の意見具申による秋月目鏡橋が竣工。
1871 版籍奉還十二代藩主長徳が秋月藩知事に任ぜられる。
1871 廃藩置県藩が廃され秋月県となり福岡県に合併される。
1876 秋月の乱秋月藩勤王派の流れを汲む秋月党が決起する


4.秋月氏と黒田氏の時代

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 |                      |・・・|            1871    

建仁3年(1203)          天正15年(1587)寛永元年(1624)      (廃藩置県)

 |←       秋月氏        →|・・・|←   黒田氏  →|

       16代約400年              12代約250年


5.秋月氏の系図

 大蔵(おおくら)(はるざね)種材(たねき)(たねなお)(たねかつ)秋月初代(たねゆき)(2)種家(たねいえ)(3)
種頼(たねより)(4)種資(たねすけ)(5)(たねさだ)(6)
(たねたか)(7)(たねあき)(8)(たねみち)(9)
(たねただ)(10)(たねうじ)(11)(たねてる)(12)(たねとも)(13)(たねとき)(14)(たねかた)
(15)
(たねざね)(16)(たねなが)(17)(高鍋藩初代)




6.秋月黒田氏系図

黒田孝高(くろだよしたか)如水━ 黒田長興(くろだながおき)(1)━(秋月黒田藩)━ 黒田長重(くろだながしげ)(2) 黒田長軌(くろだながのり)(3)━ 黒田長貞(くろだながさだ)(4)━ 黒田長邦(ながくに)(5)━ 黒田長恵(くろだながよし)(6)━ 黒田長堅(くろだながかた)(7)━ 黒田長舒(くろだながのぶ)(8)━ 黒田長韶(くろだながつぐ)(9)━ 黒田長元(くろだながもと)(10)━ 黒田長義(くろだながよし)
(11)━ 黒田長徳(くろだながのり)(12)



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