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    母の逸話と生活
   
  ばばしゃまは子供ん時から頭はよかったごたるふうじゃん。岡野の気質のあったもんの、「ど うしてじゃか」ち一考しなさるとこんあって、自分で納得の行かんこつにゃ、安心ならんち云 うふうのあったたい。強引ち云うわけでん強情ち云うわけでんなかったばってん。今で言や科 学的なち云うかそげな考へ方じゃった、何事にでん。

  ばばしゃまのまあだ四ツか五ツん時じゃったげな。初手はそれぞれの侍の住地の出入口にゃ御 門てん木戸てんのあって、時間の来ると、戸の閉まって、時間外に通る時ゃ、それぞれの名て ん用向きてん云うて出入りしょったげなたい。其頃兄さん方の江戸の方てん行っとんなさった けん、無事で帰国の出来るごつ水天宮に日参りのありょったげな。

何かで家の大人が参られなさらじゃったけん、代参で、その小まかったばばしゃまの女に連れ られてお参りして、夕方遅なって、京ノ隈のどのご門じゃったじゃりもう閉まっとったげな。 開けてもらうごつ女が云うたりゃ、門番が、「どなたでございますか」ち云うたげな。そした りゃ、小まかばばしゃまのくさい、「岡野雪二郎!」ち云いなさったげな、声張り上げて……。

そりから「ハーイ」ち中から返事して門番が扉ば明けたげな。男名でなからにゃんち思いなさっ たふうで、兄さんの名ばもじって云いなさったてろ、女が笑うて話したち云うこつじゃった。

  ばばしゃまは、背の低かったけん、うちにお入っ時、ひいお祖父っちゃま(重三郎)の岡野に お行って、「もちっと背の高うなってもらわにゃなりゃっせん」ち云いなさったげなばってん、 とうとう高うならじゃったち笑よんなさった。あたしより低かった。

  うちぐらいのとこじゃ、ばばしゃまも、奥様ち、奥にどん引込んどんなさるこつは出けじゃった。 麹寝せ、おむし(味噌)搗き、お醤油あげ、お漬物つけち、次々仕事のあって、女、男は何人で ん居ったっちゃ、主婦が主立ってせんこつにゃ、仕事が運ばんし、付合い、ご法事、お客、何じゃ 彼じゃで、あたしがゆっくり、母子で話し合うこつもなかなか出来じゃった。ようよう、もっとっ と話しどんし始むっと、何じゃり用の出けて、立ちなさらにゃんけん、いっちょん好かじゃった。

  お祖父っちゃまの、村長てん何てんしとんなさったけん、地方の婦人会の方にも色々引出されよん なさった。愛国婦人会、赤十字社、特志看護婦てんち云うごたっとで、役員になされて付合いも広 かったもん。特志看護婦ちゃ、のちゃただの雑事の奉仕どんじゃったばってん、ばばしゃまの頃は、 看護の方の講議のあったりして看護婦の代用ばしょったげなけん、其頃の一般の家庭の女にしちゃ 衛生思想もあったけん、ああたがその影響で小まか時分からバイキンてんち云うこつば知っとった たい。そげなふうで医学ち云うとば、割合迷はず信用しとんなさったけん、さっさと手術も受けな さったつじゃろの。

  ばばしゃまも、ほんに苦労しとんなさるもんの。お祖父っつちゃまがあげなふうじゃったけん。あ の時分な一体に世間の風潮があげなふうじゃったけんでもあるが、二号、三号持たんとは男の甲斐 性無しち云うごたるふうで、たいがいの且那んさんにゃみんな二号さんの居つたけん。うちにもあゝ た、その二号さんか、三号さんかが居って、善真館あたりに出て来とるち云うこつで、おたかが行っ て話しつけて、手切金どんやって帰ったかち思うとっと、何時のはぜじゃり又ちゃーんと来とるち 云うて、何べんどんおたかの行きょったこつじゃり、四国あたりの女てろじゃったげな。そりが一 人じゃなし何人でんおるもんじゃけん、うちはごろごろ財産な失うなって行くし心配ばっかりじゃっつろたい。

  外に北野に出けた、しづち云う女の子のあったけん、籍に入れじゃこてち云よったばってん、お祖 父っちゃまの、籍にゃ入れんち云うて、母方の籍のなりにしたなり養育費やって、ちゃんとしとん なさったばってん、お祖父っちゃまのおんなさらんごつ成ったのち、養われとるとこの都合の悪う なって、苦労しうち云うて、うちさん引取ったたい。

高等小学出た丈けじゃったけん、ばばしゃまの、女学校にはやってくれち云うて、自分で家政女学 校の校長さんの細江新之肋さん方に、時期もちっと遅れとったつに、いろいろ頼み込み行って、手 続して人学させなさったたい。あたしより、十七、か年の下じゃったが早よ終戦後逝ってしもたたい。

お父っつぁんと同じ年で、あたくしゃ死ぬかん知れんてん、あんまり身体の強うなかったけん、自 分で云よったりゃ、ほんなこつ同じ年でじゃったたい。そげな境遇に育ったつに、気持のすなをな、 おとなしか性じゃったたい。ばばしゃまの九大病院に入院しなさった時、いっときしづしゃんが附 添うとったが、病院の人達ゃほんな母子ち思とったち云うごたるこつじゃったたい。

  そげなわけで、そのしづしゃんばうちに引取るこつになって、その前いっぺんおたかのしづしゃん 連れてうち来たたい。子供達にあの人が、こんだから、うちのもんになるち、詳しかこつは何も話 さんばってん、云うとったけん、子供は、若かか美しか娘がうちの者になるち、大喜びで侍っとった。

いよいよ来る日は、恒もアキもヨシもまあだ学校に行かん前じゃったが、三人づれで、家から出た り入ったり、けそけそして待っとった。いよいよ来たりゃ喜こうで家のなかば、ドンドン、バタバ タ走り廻って、しづしゃんのまわりば、グルグル廻るやら、のちにゃ恒とアヤはお床の間に飛び上っ て、掛物でん何でん引落して、大さわぎしたたい。よっぽど嬉しかったじゃろたい。雇い人も、ア ヤとヨシの子守のつねよとあさをが返って、清とスエノの二人になって、寂びしうなっとったもん じゃけん。

  恒が小まか時ゃ、どげん寒かったっちゃ、しゃっち、ばばしゃまに背負われて、毎朝早うから、東 から八枝ん方さんぐるーっとさるかにゃ出来じゃったし、ヨシが出けてから、アヤがばばしゃま子 になって、いっ時でんばばしゃまん姿ん見えんと、ヤン、ヤン泣くしほーんにそーにお世話かけたたい。

もいっ時長生きしなさったならちん思うばってん、ばばしゃまの終り頃はもう何にん無かごつなっ て、借銭だけじゃったばってん、そりでん男、女もとにかくまあだ居ったし、元の屋敷もまあだ残っ て土地もいくらかあったばってん、もいっとき居んなさりゃ、一番どんこんならん目ば見せにゃな らじゃったけんちも思うたい。

そりばってん大正九年あたしが具合の悪うして入院しとった時だん、そこんにきから、「どげんろ…」 ち云うて、見に来てやよんなさるごたる気のようしょった。ばばしゃまん居んなさらんごつなって、 頼る身内も失うなって、ほんに寂しうなったたい。


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