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    火 事
   
  大正四年のお正月も無事済んで、お正月のお膳お椀のごたるもんもお湯通して、拭き上げて納 し込うで、前年の暮の入営のとき、営所ん前の宿屋辺に貸しとった布団のごたるもんの、まあ だ階下(した)にあったけん、そりも毎日干し上げて二階さん片付けて仕舞うとったたい。

二階は表土間と内土間の上が、つしち云うて、薪てん何てんの上げ場所で、格子の間、次の茶 の間の上から東の方さんな、表お座敷の上よりほかは全部二階で、板張にして上の茶の間の上 だけが畳敷いてお部屋になっとった、表お座敷ゃほーんに天井の高かったけん板張りゃあすこ はしちゃなかったったい。

板張りのとこは物置にして、上ん段の倉に入るる程んなか一切の家財道具ばびっしり入れとり よったたい。その年ゃいつになし早さばけで、お正月早々片づけん出来たち思よった。丹羽さ んの預けとんなさった大礼服の、どう云うこつじゃったじゃり、下ん段の倉の中にどん入っとっ たつ見つけ出したけん、ぞーたんのごつ、どーして米倉にどん入っとるじゃりち其箱も一月の 十日過ぎに二階さん上げといた。

  一月十八日の六時頃、ばばしゃまん便所に起きなさって、ご飯炊きにもうそろそろ起きてもら わじゃこてない、ち云うて自分な又休みなさったげな。ご飯炊きゃそんときゃもう目覚ましとっ たげなけん、起きて布団どん片付けて、お台所ん南側の雨戸ば明けて、ちょいと振返ってうし ろ見たげなりゃ、内土間の上のつしのまっ赤にしとるげなもん、びーっくりして「うちゃ火事 でございますばい!」ち、大声でおろうだけん、ばばしゃまもあたしも直ぐ起きて、こげな時 取乱しちゃならんち思うて、すぐあたしでん、ばばしゃまでん着物着て帯しめたたい。そして、 ばげしゃまとご飯炊きと、ちょうど泊っとったおもとも一緒に裏さん出て、「火事ぞーい!」 ちおらびなさった。

火事ぞーいじゃどこかはっきりするめで、「真藤は火事ぞーい!」ち、どんどんおらびなさっ たりゃ、ちょうど近所も起き起きの時じゃったけん、みんなすぐ飛うで来て貰うたたい。俊蔵 さんの一番につしに上って見た時ゃ、まあだ一坪ばっかり燃え上っとるばっかりじゃったげな。

井戸から水汲んじゃ、どんどん下から梯子伝いに運び上げて、水掛くるげなばってん、水かけ てん火は薪の中さんくぐって、消えそうにならんげなもん。前ん年、うちの藪てん山てんの根 ざれした柴たき物ば、び―っしり、つしに入れとったたたい。そして前ん年十一月に電燈のつ くごつなったけん、電燈どん引いたたい。

今迄はランプじゃけん、何時ひっくリ返して、火事にだんならんじゃかち心配のあったが、そ りも無かごつなってほっとしたとこじゃったりゃ。その電線の裸線のなり大壁ば突き抜いて、 味噌部屋の真上さん、つしの壁に沿うて引きおろして、内土間さんおろしたとこで、スイッチ つけてあったたい。

工事する時、工夫が壁ん厚かけん、焼物の管の長さの足らじゃったち云よったつは、あたしゃ 聞いとったばってん、一向電気の知織はなし、工夫達も不馴れじゃっつろたい。家庭に電燈ば ようよう点くるごつなった時じゃけん。その上このあたりに、生しか柴ば裸線にひっつけて、 びっしり積み込んだ方も悪かったたい。こりもまた知識の無か者ばっかりじゃけん、その火元 は電線の引っ込んである柴たきもんのとこからじゃったたい。

  どげん水掛けてん火は下さんくぐって、燃えひろがるし、ちょうど運悪う村の消防ポンプは、 故障で町の方に修繕に出してあったげなもんじゃけん、こリゃとても消えそうにゃなかばい、 はよ子供、年寄ば出さじゃこてでヨシに着物着せて、アヤに着物着しうでちしたりゃ無かもん、 なんの、もうばばしゃまの、アヤにゃ着せよんなさった。恒ゃ、自分で起きて着物着よった。

そして前ん晩新しう買うとったパッチば小箱に入れて枕もとに置いとったつばしっかリ両手で 持って、「早よ逃ぎゅ、早よ逃ぎゅ」ち云うて来たけん、ヨシば負うて、アヤば抱いて、恒ば 歩るかせて表土間から降りて、火事の焼けよるつしの下の土間ば通って、裏さん出たばってん、 火の粉も炎も煙も見らんなり、まぁだ出られたたい。

そん時一番点の悪かつはお父っちゃまじゃん、火事ち女がおろでから起きなさったばってん、 一時ゃうろー、うろ、しよんなさるもん、ようよう表お座敷と奥の雨戸どん開けてのちに、着 物どん着とんなさった。村ん者も慌てたらしうして、鐘打っとに三っ鐘どん打ちょるげなもん、 下から「三っ鐘じゃねーか早鐘打たんか!」ちおらばれて、びっくりして早鐘打ったげなたい。

出入りん誰かは、営所に走ったげな。営所は火事の知らせ受くっと、必ず一応現場にたしかめ に走って来て、間違いなかとこで兵隊ば出しょったけん、走って行って三十分余りだん経って からじゃっつろたい、営所から兵隊が布馬穴もってかけつけたつは。

  ポンプは村んとがそげなふうじゃったけん、野中辺のポンプの鐘打って来たっは三十分だんし てからじゃったろ。村んとも町の方に取りに走って出けとったけんち持って来たつが一時間半 もしてからじゃった。そげんポンプの方も愚図っいたばってん、火事の方もぐずぐずしぶしぶ ながらんごたる燃え方でおかしかごたるもん。

かりに今んごたるポンプの一台直ぐ来たなら何なし消えとっつろたい。うちにゃ屋敷内に五つ も井戸んあって、どっでんよう水の出よったが、ポンプの来て井戸に吸口つけたつに、いっちょ ん出らんち騒ざよったりゃホースのつけ方の間違うとったてろで、またつけ直したてろで、何 せ手おうざおうじゃった。

あたしゃそげんして了供達連れて裏さん出たりゃ、畑んとこで近所ん娘じょどんが、いくらん 立って見よった。堀江のアキノさんの、「さあ早よ早よ」ち背ば出してくれたけん、アヤば背 負わせて、ヨシも娘じょどんが受けとってくれた。恒も預けたけんすぐ引返したたい。

  お台所の方はもう人で一杯で行かれんけん、奥のお座敷の方さん庭の方から行ったりゃ、もう ご仏壇の出とるもん、ほうもう出して貰うたち思うて、奥のお部屋ん方さん廻ったりゃ、千磐 の伯母さんの病気で休んどんなさったが起き上って着物どん着とんなさっとば、後から誰かが 抱ゆるごつして、病人病人、ち云うて連れ出して来てござるとこじゃった。

福田ん利丸さんの、「ほーら」ち背ば出して負うて、自分のうちさん連れて行ってじゃった。 ちょうどその時分奥の七畳の方は串田軍医さんの借っとんなさった。荷物は早よみんな出して、 何にん焼けじゃったばってん、奥さんのお産してあんまり日の経っちゃおんなさらじゃったけ ん、どげんじゃかち心配したばってん、近所ん店のおばさんの、自分方さん連れて行って、休 ませて上げて、間ものう家も探して上げたげなけん安心したたい。

  そりから倉ん鍵ち云うて蔵の大っか鍵三本と小まか鍵の束の結びついとっとば、誰かがあたし に手渡した。そしたりゃまた系図、系図ち云うて、千磐の系図箱の来とったつの包みば渡され たけん、二つ持ってどこに置こかち思うばってん、どんこんちょいと置きどこんなかもん、ど こいらんに置いとくわけにゃいかんもんじゃけん、上ん段の蔵ん前さん行ったりゃ、もう何き ろん、いっばい持ち出して積んであって、預くるごたる者も居らんもん、もう家ん方は加勢人 の一ばいで襖、畳、床板、根太、床ぷち、落しがけ、んごたるもんまで、取り外しの出くるも んな何でん彼んでん取り外しん始まっとった。

もうあたしどんが出る幕じゃなかごつなっとったたい。奥さんの鍵どんぶらさげて、うろうろ しござるち人ん思よろち思うばってん、仕方んなかたいち思て、薮ん方さん行ったりゃ、出し た畳ば薮ん中に拡げて、その上に持ち出した物てんば、山んごつ積んであって出入ん者達も来 とったけん、ようようそこに鍵てん何てんば置かれたたい。

  お父っちゃまも、もうそん時ゃしゃんとなって火消しの方にかかっとんなさった。火は屋根裏 伝うて、二階いっばいに拡がったげな。火ば消したち思たっちゃ先さん先さん火のくぐって、 燃え拡がって行ったち云うこつじゃったが、こりゃ後で話しん出たがくさい、火事の二、三年 前頃から急に梁でん、けた、しきいのごたるもんに、虫んほーんに入って来たけん、こっぢゃ そのうち家立て換えにゃなるめち云よったこつじゃったが、その虫(白蟻)の喰うて、うつろ になった梁てんの中ば火のくぐって行って、いくら外側は消えたごたってん、中さん、中さん 火の伝うて行ったっじゃなかろか、あげんしぶしぶんごっ時間のかかってもえたつはち云うこ つじゃったたい。

  そげなふうで火は拡がるばっかりで、二階の屋根に穴あけて、そこからポンプでどんどん水か くるばってん、どんこん消えんてろちじゃった。お父っちゃまは、うちん火事ゃ煙突火事たい、 表ん口と裏ん口から人った風の、つしの上り口さん吹き上げて、尾根にほがした穴さん吹き出 すもんじゃけん、かえってよう燃えたたいち云よんなさった。

  うちの家が何でん頑丈一点張りで建ててあったつの二階の天井裏のつしとの間仕切ば手抜いて あったらしうして、壁仕切じゃなし板じゃったげなたい。あすこが壁じゃったなら、つしだけ で消し止めん出来つろし、二階にもあげん煙り籠めんで、何でん物も出されつろち云うこつじやった。

  二階のもんな二階の格子窓破って、投げ出そち云うて上ったげなが、まーだ早かったばってん、 もう煙の籠めてどんこんならんげなもん、そりばってん、何人か上って、そうに投げ出そうで ち、格子窓ば叩いたりゆすったりしたげなばってん、やーさしかごつ見えよった格子じゃった ばってん、ギスとん動かんげなもん、煙ん来て、もうにゃ仕様んなかたいちめん降りて来る時、 上り口にあった物ば、手当リ次第持って降りて来たつが、子供入れよったいぐりと、競馬の時 馬達が貰うて来よった赤ゲットの入っとった櫃と、琴の箱一つじゃったたい。

この櫃のすぐ横にゃ、よか毛布の一ぱい入っとる櫃のあったばってん、人は知らんもんじゃけん、 持って来ちゃおらんたい。琴は一面な、下に出とったけん、そのあき箱と入っとる箱と並べて 置いとったりゃ、さいわい入っとる方の箱が出とったたい。

  火は六時から燃え出して、十一時頃でようよう消えたたい。二階が焼け落ちて、奥座敷の方も天 井てんが焼けて、下廻りの軒先てんお縁などーんなっとらんとこのいくらんあったたい。柱も黒 焦になったり、どーんなっとらんともあったりで、家ん形なりにまぁだちゃーんと突立っとった たい。お茶の間から風呂場の方のお縁な、どーんなっちゃおらじゃったけん、ああた達が下駄ば きで面白がって、よう芝居ん真似どんしょったたい。ガチャッ、ガチャガチャッ、ち、云わせて・・・・・。

  そりから火元の下もどーんなっちやおらじゃったけん、その年の味噌(おむし)つきの豆炊きで ん何でんあすこのくどで炊いたたい。味噌部屋は、おもとが、この真向うが味噌部屋じゃけん、 壁破って出さるるならち、消防手に云うたげなけん、大壁に大穴あけて、みーんな、ランキョ、 梅干、味噌何でん水もかぶらんで出とったたい。

  まあだ燃えよるうち常寛さんの車でかけつけてお入ったたいそして、「どーうしてこげんなった なら、みちしゃん、諦らめなさらにゃしよんなかたいの・・・」ち、おっしゃったけん、「はー い、がらくたの始末のかえって出けたたいち思よりますたい」ち申上げたけん「ああたのそげん 思うとんなさんなら安心した」ちおっしゃったたい。

ほんなこつもう仕方んなかたいちあきらめたたい。そりしてん、その時分な、銅山の景気のよか 時じゃったけん、そのうち何とかなろで、割合がっかりもせんで済んだたい。

  そりから、うちの火事ゃ、朝起き起きからじゃったけん、加勢人もまあだ朝ご飯抜きじゃったた い。そしたりゃ利丸さん方から自分方に炊いたご飯ば、一番口におにぎりにして持って来て貰う たけん、ほんにありがたかったたい。そうこうしょったりゃ、花畑の内藤さんち云う郵便局長さ ん方から、まぜごはんの炊き出しが来る、続いて、あっちこっちから、どんどん炊き出しの来て、 みんなにも食べて貰うしほんに助かったたい。

内藤さんな、ばばしゃまの婦人会役員仲間で、息子さんなお父っちゃまの友達なりち云う間柄 じゃったたい。炊き出しゃみんな大っか半切りに、山んごつ来っとじゃん、そっでんまあだ次々 貰うもん、どうしてこげん貰うじゃりち、あたしどんがびっくりするごつ次々貰うもん。そから 誰でんが、そーりゃ貰いなさるくさい、今迄が、どりしこみんなに遣っとんなさるじゃり分から んごつ、ようしとんなさるもんば、ち云よったたい。二、三は加勢人も大人数じゃったが、次々 に炊き出してん何てんで、うちじゃ、ひと一つんご飯炊かんで、四、五日は済んでしもたたい。

とにかく家はどこかに入らにゃんもんじゃけん、善真館が空いて、倉次たちば家番においとった し、旅館にしとったとこで広かったけん、そこさん一度は入ったたい。郵便局の真向えで、稲富 さんのばばさんの、ほんにご家のお召し代えんあんなさったけん、不幸中の幸いじゃったたいち 云よんなさった。そりばってん、街なみで、子供育つるとにゃ、あんまり場所んようなかもん。

遊び場も表は道で危かし、それに蔵てん物置ゃまあだもとんなりで、ちょいと遠すぎるし、屋敷 ん南の隅の、小まか家ば軍人さんに貸しとったつば、家ば変って頂いて八枝の今んとこさん入っ たばってん、何してん家の狭もうしてどんこんならんけん、焼もくりんの材木使うて、のちに一 間お座敷ば建て増したたい。そりばってん狭かったたい。その頃その家の表は道ば掘リ上げて、 樋江工事のありょったけん、表の道ゃいっときゃ通られじゃったけん、ほんにしゅるしかった。

  火事の時ゃ、清がちょうど銅山に泊りがけでお使いに行って留守じゃったたい。高取越えしてば し帰って来よったじゃリ、旗崎んにきで誰かと逢うたげなりゃ、「お前ゃどーしょっとかい、う ちゃ焼けて仕舞うとるぞ」ち云うたげなけん、「何ない?人ばだまくらかすとも、ええ加減にしと かさい」ち云うて、帰って村内さん入って来たげなりゃ、燻(ふす)ぶりどんが立ちょるげなも ん、ほんなこつ。そっでほんに力んこうけん失うなりましたち云うて、午後から帰って来たたい。

  その頃のご飯炊きゃ、高良内から来とったが、ご飯炊きの親父さんな、真藤が火事ち聞いて、時 間が時間のけん、こーりゃ大方娘がご飯炊きょって、火事焼き出したにちがいなかち、ほーんに 霜のジャキジャキした寒か朝じゃったつに、片肌抜いて向う鉢巻で心配して走って来たつげなふ うふう汗流して来たたい。そげんあんね(下女)がそそうしたつじゃなかけん心配せんでんよか たいち云うたけん、ようよう落付いた風じゃったたい。

  火の出たとこがつし(屋根裏倉庫)のかねて人の寄り付かんとこじゃし、そげなふうで電線の引 込どこじゃし、漏電ちしか考えられんち云うたりゃ、電燈会社の方じゃ、漏電てん何てんな、絶 対なかち云い張りょったが、警察じゃ、ばばしゃまと、ご飯炊きに、まあだ火のもえよるうち現 場で、ちよいと見つけた時の模様ば聞かっしゃっただけで、罰金も出すこつはいらじゃったたい。 漏電ち云うこつで・・・。

そののち間(あい)ものう、桃山御陵の衛士の詰所てろの、漏電で焼けたけん、やっば漏電ちゃ あるじゃなかのち、皆云よったたい。噂ちゃ火の気の無かとこにも立つらしゅして、うちが左前 じゃけん、保険金目当の放火げなち云よった者もあったげな。

保険金どんが掛かっとんならまだましじゃっつろが、保険にもかたっちやおらじゃったけん、焼 けぞんじゃったたい。損害賠償の裁判したがよかろちすゝむる人もありょったが、損害額のどっ だけかは積まにゃならんてろち云うこつで、こっちは山のこつにどっだけお金の有ってん足らん けん、そげな余裕はなし、いづれどっさり儲かる皮算用しとんなさった時じゃけん、そげなこつ はどうでんよかで放からかして仕舞いなさった。

  その頃三井郡の鯉の段てろじゃ村中電燈つくるごつなっとったりゃ、真藤が漏電で火事になった、 そげな危なかもんなつくるめ、で中止したりしたげなけん、こっちの家さん来て、電燈ば近所は つけてん、うちゃ漏電ち云うたけんつけてやらんち電燈会社から云よったけん、そんならよかた いで、またランプつけよったりゃ、奥さんの名義でならつけてやるてん何てん云うて来てまたつ けたけん、電燈名義はず一っとあたしが名義になったなりたい今でん。いまの常識からは、おか しゅしてしよんなかこつたい。


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