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    お祖父っつぁんの生活
   
  お祖父っつぁんな五十の時、家督ばお父っつぁん(六代目栄(サカエ))に譲って隠居する ちうて、ご披露どんがあったげな。そりからあとは.財産の切り盛りゃお父っつぁんの一切し て行きなさったげなが、本当はお父っつぁんの二十ぐらいになんなさる迄は、お祖父っつぁん の後見しよんなさった模様たい。ばってん隠居しなさっとの、ちょいと早かったたい。一体に 初手は早よう老け込みよったごたる。

  たいがいの時ゃ、お茶の間に、キチンと座ってあぐらどんかきなさったつは、見たこつんな か。昔ゃ侍ゃ行儀のやかましうして、あぐらどんかく人は誰りん無かったもん。旧士族ちうご たる人達ゃ、左足の右足よりちょいと大っかった。左肩もちーつと上っとった。こりゃ昔の二 本差しゃみんなじゃったげな。

家ん中ででん小脇差さしとるし、外さん出るときゃ重か刀二本も差しとりょったけんじゃろ。 元からの習慣じゃろ、おかくるるまで、夜お静まるときゃ必ず枕元に刀掛け置いて、ちょいと 刀ば掛けよんなさった。廃刀命の出てからは、刀差してはさるかれじゃったばってん、そばに 無かと心寂しかったふうじゃった。

お祖父っつぁんな、おハエさんのお子さんじゃけん、ごきりようが悪うしてえーすかごたる顔 しとんなさった。砲術の稽古しよんなさった時、火薬の逆に吹き出したてろち云うて、右の目 に星の入ったごつしとったけん、よけいえーすか顔じゃった。あたしがいつか小まか時「猫で ん、お祖父っつぁんなえすかけん、えすかくさーい」ち云うて、ほんに笑われたこつんあった。

後おつむりの天辺の方の禿げて仕舞うて、裾の方にクドのごつ真白の髪の生えとっとばちょい と長目にして口ひげと、長ごうあご髯ばのばしとんなさった。髪も髯も真白でふさふさして美 しかったし、年寄んなさってからは、きりようは悪るかばってん、品のよーか顔になっとんな さった。其頃の写真の無かけん残念たい。

  お祖父っつぁんのふところは、ほーんに大っかったもんの。何時か夏頃、博多に行ったりゃ、 暑うなって来たもん、そしたりゃ、お祖父っつぁんの、ちょいと羽織ば脱いで、畳うで、ふと ころにちょいと入れなさったが、いっちょーん分からんもん、昔のお方達ゃ裃着くるとき、こ う胸からふところあたりんふくれとる方が肩衣の形の良う着つけらるゝち云うて、懐紙ばたー くさん広う折って、懐に入れよんなさったげな。そりに実用にもなりよったたい、何でん詰め 込まれて。

  いつでん、えーすかごつしとんなさったばってん、ときにゃ人ば笑わするごたるこつもしよ んなさった。織屋で何時かみんなが斤重で体重ばわいわい云うて量りょったりゃ、お祖父っつぁん のお茶の間から、廊下ば、のっしのっし出ておいった。そしてご自分も斤重にかかんなさった りゃ、重かこつが「どうしてこげんご隠居様は、重うあんなさっぢゃり」ち、みんな云よった。

そしたりゃ、量って仕舞うて、また廊下ん方さん出ておいるとき、ボトーンち懐から、大ーっか 分銅ば落して、知らあん顔して這入っておいってしもうた。そっでみんなどんどん笑うたたい。 何せふところの大っかもんじゃけん、そげな分銅入れとんなさっとん、いっちょん分らじゃったったい。

  お祖父っつぁんな温泉(ゆ)においったりゃようしょんなさった。嬉野てん、二日市てんな、 定宿のあって、内ん者連れてようおいりょった。

  まあだごーほん年寄んなさらんころ、山本善次郎さんと二人つんなうて、長崎から佐賀ん方さ んおいったこんあったげなが、そんとき、どこかに詣るかして、滝のあるとこで、崖ん上から早 道して降りろでちお二人ながら、おふみもん(下駄)ば、崖の下さぐ投げ落しなさったげなりゃ、 ちょうど崖下に来かゝった女のおってお二人のおふみもんば、ちゃーんと揃えて上げたげなたい。

その女がなかなかの美人で、髪ゃ洗髪んごつ後さんさげとるげなもん結わんで。真面目くさった ごたるお方達ん、どう云う風の吹き廻しじゃったか、おふみもん揃えて呉れたお礼にち云うて、 一緒にそこへんば見物どんしてさるいて、三人で記念写真どん、とっとんなさるたい。

そっでみんなで笑うたこつじゃったげなが、その女はもと、娼妓か何かじゃなかっつろか、何か  くのあるごたるふうで、うしろ首筋に刀傷のあったつの、どうかして頭下げた拍子に、ちょいと 見えたげなたい。そっで傷かくしに洗髪んごつうしろさん髪ば下げとったっじゃろ、どうした女 じゃっつろかち後でお話んありょった。

  親類辺から、子供んお客どんがあっと、お祖父っつぁんの泉水のクーヅ(亀)ば、竹ば輪切り したつば立てて、その上にちょいと置きなさるもん、クーヅはびっくりして、逃げ出そでち、手 足ばこー出して、オヨオヨ空ば引きかくとん面白かけん、子供は珍らしがって喜びょった。そり がお祖父っつぁんの子供に対するただいっちょのご愛想じゃった。

  お祖父っつぁんな何でん、身分相応、身分相応ち云うて、派手なこつは好きなさらじゃった。 うちの家は、西側から表口にかけて、大壁のいぐら造りじゃったが、壁の色も、瓦の目じっくい も、鼠色で目立たんごつち云うてしてあった。表門な、あたしん小まか時まで冠木門じゃったが、 痛みん来たけん、地味な板屋根門に建て変っとったが表の通の垣は笹うら垣で、田舎いなかした 風じゃったたい。

  いつかお父っつぁんの、上ん段の樹のあんまり生い茂っとるけんち、樹の枝ば払わせなさった げなりゃ、上ん段の蔵の八枝ん方から丸見えになったち、お祖父っつぁんからほーんに叱られな さったけん、おろたえて、かなりせの高かゆずの木ば生垣のごつびっしリ蔵の南側にならべて植 え込みなさったげな。後にゃあげん大きなゆす並木の出来とったたい。万事そげな風で目立たん ごつち云う風じゃった。


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