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    重三郎お江戸上り
   
  その頃は国分ん村中も、奉公人てん応変隊の兵卒連中の出て行くもんじゃけん、ただのお江 戸立でさえ、大騒ぎしよったつに、討死するかん知れんち云うこつで、そーに騒動づいて出て 行っつろけん、長右衛門があげん云うたつじゃろたい。

  お祖父っつぁんもお江戸に着いて奥州てろ函館てろの方さんおいる筈じゃったげなけん、討 死にするかん知れんけんち、神田明神の境内に写真屋のあったげなけん、ダンブクロ姿で、写 真に写して、そりば国元さん送んなさったつたい、ガラス板写真たい。先に「写真ば送る」ち 云う手紙の着きばししたつじゃろ、旦那ん様の生き絵の帰って来なさるげなち云うて、出入の 者てん村ん者てん、みんなどげなもんじゃりち待っとって、写真の着いたりゃ、ぞろぞろ見げ来たげな。

  函館の戦争も済んでお祖父っつぁんな、向うの方にゃ行かんで、お江戸までで帰っておいっ たげな。そして、家中厄介肝煎(かちゅうやっけきもいり)ば仰付けられて、お役料年に銀三 百匁てろ頂きょんなさったげな。その頃、藩な新しう兵制の出けて、軍務局ち云うて、その大 四大隊輜重司助てろ仰せ付けられなさったげなたい。家中厄介の地主のごたる者ば、そげな役 にしてあったふうたい。


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