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    跡目のご沙汰
   
  初代佐太夫さんのおかくれたのち、二代佐太夫さんに跡目のご沙汰のなかったたい。ご沙汰 のなかったつは、そのころは殿様の、年頃の藩中の目星しか男の子たちば、ご城内のどこかに お呼出しになって、物かげからご覧になって、ご自分のお気に入った者ばお小姓に選びよんな さったつげな。お小姓ちゃ何じゃ彼んじゃち気骨の折るる役じゃったげなけん、あんまり誰で んなりたがりょらじゃったげなたい。

そっで「閻魔の帳にゃ誰が載るか」ち、二代目佐太夫さんの軽口云よんなさったげなりゃ、も うそんとき殿様のどこからかご覧になりよったげな。そっでご機嫌そこのうとったけん、ご沙 汰のなかったつげなち、常寛さんの話しなさったこつのあった。倉富の啓しやんな、二代目にゃ 養父だけの馬術の腕がなかちうこつで跡目のご沙汰のなかったげなち話しなさった。

  梅厳公(則維)のころ八百何人かあったご家来の数が大慈公(頼僮)の時ゃ六百何十人に減 らされとったけん、新参ぢゃあるなりご沙汰なしじゃっつろちも思はるるたい。藩の財政のピ イピイ時代じゃったけん、そげなこつじゃったかも知れんたい。たとえ、三百石じゃり百石じゃ りで、ずーっと禄頂いて来てご一新で、いきなりすったりになるより、まあこっちに引っ込ん で、どうやら成って、三、四十年長持ちしたけん、良かったこつにしときゃよかたい。

  とにかく跡目ん御沙汰んなかけん、屋敷ゃ返上せにゃならんけん、その返上する時の書付の 下書きのあったが、庭石何個燈籠何個庭樹どっだけち云うこつまで書いてあった。


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