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    岡野家の人たち
   
  岡野のずーっと前、ご先祖は、中国筋の赤松の一族で、赤松の出城(兵庫県印南郡神吉)の 城主じゃったげなが、戦国の末ごろ、亡んでから淡路の洲本あたりば根城にして海賊になっ とんなさったげなたい。元の名は、神吉(カンキ)ち云よったげなが淡路さん行って、岡野城 の岡野ば取って、岡野姓ば名乗んなさったげな。のち、有馬さんと同族であるし、海のこつ に詳わしかち云うこつで召抱えられなさったっげなたい。

  正徳の頃三左衛門さんな藩米ば榎津から長崎さん廻送すっとば指図して船でおいりょった げなりゃ、大風に吹き流されて、支那の広東さん久しうかかって流れ着きなさったげな。そ して字ば書きゃ話の出来るこつの判って、ずーっと筆談しなさって、「こげんして流されて来 た」ちうこつんわかったらしか。こっちじゃ、もうおかくれたもんち思て、始めの奥さんな 帰ってしもとんなさったてろじゃんそして、三年のご法事のあろでちしょったてろどうてろ のとこに、上海からの船に乗って、ひょっこり長崎から帰っておいったげなたい。

  三左衛門さんにゃ子供さんも何人か出けなさった風ばってん、みんな早死しなさったらし ゅして、後の奥さんに、昔の神吉の分家で、やっぱ有馬さんに仕えて、馬廻役で勘定奉行(江 戸)したりしとんなさった神吉十太夫(後加納)さんの、娘御ばもらいなさって、女のお子さん の出けて、そのおかたに同じお船手の生熊ち云う家から左源次さんち云うお方ば、養婿にし なさったげな。

その左源次さんにも女しか出けなさらじゃったけん又、婿養子に、山本喜佐衛門さんの四番 目の男の子喜四郎さんばしなさって、山本一族と、岡野とのつながりの出けたもようたい。 神吉十太夫さんな男の子供さんが早死で、跡目継ぐ者のなかったけん、一応神吉は断えたげ なが其家禄ば十太夫さんの娘婿の三左衛門さんに下さるごつなって、屋敷も京の隈さん変ん なさったふうで、ご一新迄あすこに住んどんなさったつげな。

殿様と同族ばってん、中小性組で、そげん高か身分でもなかけん、何とかしてやろち、殿様 の仰しゃりょったげなりゃご一新になって、そげな段じゃなかごつなったげなたい。

  岩本から岡野においっとったばばさん、おさみさんち云よんなさったが、あたしのばばさ ん、そのばばさんの岡野においったっは、お父っつぁんの、ご殿から下がっておいって、お さみさんに「わり(おまえ)の、かねて賑やかゝとこが良かち云よったけん、岡野に話(結婚話) ば、決めて来たばい」ち仰しゃったげなたい。そり聞きなさって、ばばさんな、岡野ちゃ、 いくらなんでんち思いなさったげな、ち云うとは、岡野は二度目で、先妻の子供の何人でん ある上、年取った女学者さんのごたる婆さんの二人もおんなさるし、かねがね岡野ち聞くと、 年寄りばばさんと子供ぞろぞろちう感じば受けとんなさるとこじゃったもんじゃけん、さす がにびっくりしなさっつろたい。

  何せ、岡野の半兵衛さんな、もうすぐ参勤交代のお供して、お江戸さんおいらにゃならん けん、年寄、子供だけ残しちゃ行きにくうあんなさるけん、急いで話きめなさって、ばばさ んのおいったばってん、おいって何日かで、半兵衛さんなお江戸さん立ちなさったげな。そ してそりから三年間もお留守じゃったげな。

  半兵衛さんな、初め安兵衛さんち云よんなさったげなが、殿様のお子様に安之助さまてろ 何てろ安のついたお方の出来なさったけん、遠慮して半兵衛になしなさったげなたい。

  あたしのおっ母さんな、この半兵衛さんと後妻のおさみさんとの間に出来なさった子供た い。おっ母さんの数え年四っ位のときにお父っつぁんば下から、こーう見上げて、「バカー」 ち云いなさったげな。まーだ馬鹿ちゃどげなこつか、わけもよう分らん時げなもん、そした りゃお縁先の沓脱石のとこさん、おっ母さんばつうっと連れておいって、ごつごつ音のする ごつ頭ば石に押しつけて、折檻しなさったげな。子供の言葉でん、礼儀に叶わんこつは容赦 なし、しつけがありょったったい。親に向うて馬鹿ちゃ、いくらわけのわからん子供でん、 言語道断のこつじゃっつろたい。


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