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    皇族のお出まし
   
  久留米は軍隊のあったけんじゃっつろか、天皇てん皇太子てん、ようおいでになりよった。 学校に行きよった頃は、両替町あたりがいつでんお迎えに出るとこじゃった。あんまり頭 下ぐっと、お顔ん見えんけん、自分の前においでのちょいと前ぐらいに頭下げて、別に号令 は掛けんけん前ばお通りの時頭上げてお顔拝んでよかち云うこつじゃった。

  昔や自動車もなかもんじゃけん、人力車の一番よかつに曳手も見かけんようして人物んよ かっちうて選ばれよった。皇太子(大正天皇)の時(明治三十三年十月)は、もと山本のお出入 りであすこの馬の別当(馬丁)しとった熊蔵ちうとが人力ば曳きょったもん、車もよかし見か けもよかし、人物もよかけん熊蔵が選ばれて曳いたたい。

  そんとき皇太子は犬好きであんなさったげなけん、犬がお供して来とって車に乗っとった。 何ち云う種類の犬かあたしゃよう知らじやったばってん。

  明治天皇(明治四十四年)は馬車じゃった。こう少し猫背んごつしてほーんによかおぢいさ んち云うふうにしとんなさった。お髯ん長うして…。天皇は行在所お泊り、皇太子は市の上 お泊りじゃった。皇太子は宮ノ陣の将軍梅にお出でになったけん、そのあとば見てくうじゃ んの、ち云うて友達連中つんのうて行ったたい。

途中御井高等に寄って、みんな講堂さん上がって、オルガンどん弾いて遊びよったりゃ、背 の高か先生ん出て来て「黙って上がって、オルガン弾いたりしちゃ出来ん」ちおごらっしやっ たが、そりがお父っちゃまじやったげな。「ほーう、おごらっしゃるよおー」ち云うて、宮 ノ陣さん行ったたい。

  もとは、皇族方のおいでの時は、愛国婦人会てん、国防婦人会てんで、ようお迎えに行き よった。
  初手は長紋付で行きよったばってん、のちにはヱプロン、戦争のひどなってからは、たす きかけて、モンペじゃったたい。駅てん何てんじゃ、一番よかとこに将校婦人会が陣取って ござるけんで、ブッブッ云う者もありよったたい。

  いつか閑院宮載仁親王のおいでのとき、そこの東の中の道ば、馬でお通りになるげなちじ ゃけん、いまの東の共同風呂んとこに、おっ母さん方と、三、四人出て行ったりゃ、ちよう ど下の方から、おいでになったつに行き合うたけん、お辞儀したりゃ、あたしどん三、四人 だけじゃったばってん、ていねいに挙手の礼ばお返しになったたい。

あげなお方たちも大ごつであんなさったい、あっちこっち立って、お辞儀すりゃ小人数にで ん、一々答礼しなさらにゃんけん、のんびりお入るわけにもいかんじゃろたい。あたしどん がごつ下々の者がかえって良かばい、仕たかごつしてのんびりしとって良かもんじゃけん。 あげなお方たちよりも…。


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