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    十三塚神社の由来
   
  営所の建っとっとこ、元の歩兵四十八聯隊じゃったとこたい。あの辺にゃほんに塚ん多か ったもんの。土饅頭んごたっとから長(な)ごう土手のごつ高かつまでありよったたい。春に どんなっと子供だんよう遊び行って塚ん上に生えとる茅花(づばな)抜いたり土筆取ったりし よった。その塚は昔、戦争で死んだ者の塚てんち初手から云よったが、四十八の西南の方に が余計大っかつの集っとった。

鎗水の方向いて行くと道の左手に、東西に長こう土手のごつなって、高さの一、二間もあっつろか、 大きなもんの在った。(面積二畝六歩)そして道挾そで西側にもその半分ぐらいんとの二っ 東西に流れて在ったたい。(面積二っで二畝十五歩)その辺ば"三ッ塚"ち云よったつは、 そげん土手んごつ大きう長か塚の三ッもあったけんじゃっつろの。

  四十八(連隊)の建つとき、そげな塚ばひきくずして、その上に兵舎の建ったたい。南西隅 の兵舎はその長か大っか三っの塚の上に建っとっとじゃんの。よっぽど大人数ば埋けてあっ たつじゃろ、うちに下宿しとんなさった将校さんの従卆さんの話しござったが雨ん晩にどん 歩哨に立っとっと、あの辺の土の中から青か火のポローン、ポローン燃え出て来よったち。

  その兵舎の出来よる時、もう大方土台の骨組でん屋根でん出来とっとに、ちょうど十二時 になって大工さん達がみんなその家ん外さん出て、お昼弁当食べよったげなりゃ、風も無か つにいきなりその兵舎が、ガラガラち崩れて倒れてしもうたげなたい。

その日あたしゃ吉岡にお茶の稽古に行って帰って来たりゃ村ん者ンたちが、 営所の出来よっとん倒れたち云うて騒ぎよった。うちに帰ったりゃ、みんな出とって怪我人 の出けんでよかったたい、ち話しよんなさった。

そりからまた建ち上ったところがその兵舎にかぎって、赤痢てんチプスてんは入るげなもん、 どげん消毒どんがあっとってん。そして最後にほーんにチプスのひどうは入ったげなけん、 兵隊ば肥前の方さんか何か一時転地させて、そのあとば師団の方から係の人達ん来て徹底的 に消毒んあったたい。

そりからがようようその兵舎にそげな病気の出らんごつなったげな。そりまでなんべんでん 消毒はしよったばってん、どこかに手抜りのあったけん、そげな風じゃっつろたい。 ばってんそげん青火の出るごたる塚ん上に建っるけん、祟りよっとち思うたじゃうたい、 四十八連隊と営所ん前の者ん達が、四十八の敷地内に十三の塚のあったろで、 十三塚神社ち石碑は山王さんの境内に建てて、塚にいけられとった者んば祭ったたい。

ご神体には塚ば崩したときようくされもせんで、余り長うなか直刀のごたっとの 出て来たつば、道具屋が熊本の方さん売っとったつば買い戻して、碑のなかに入れたげなた い。毎年今でんお祭りんありよるげな。


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