第二十四番  宇今山  普光寺  天台宗
大牟田市今山253

     
 普光寺の創建は引仁十一年(820)。開基は嵯峨天皇の第八皇子である三毛中納言源師親である。師親は三毛郡司として下向、ある夜のこと「我は筑後国三毛の山中に庵を置くものなり、速やかに来たりて、堂宇を建立すべし」という千手観音のお告げを夢に見て、さっそく師親が山に登ると、中腹に達するところで、風雨にさらされて朽ち果て祠堂を発見した。中には千手観音と薬師如来に二仏が鎮座されていた。この仏像こそ、その昔、伝教大師最澄が安置した仏様だった。師親は喜び、弘仁十四年(823)この山中に大伽藍「を有する寺院を建立した。
 その後、承和五年(839)、茲覚大師円仁が入唐求法のために太宰府の観世音寺に滞在したとき、師親は円仁を手厚く招請し、普光寺の開山法印として迎えた。こうして普光寺は栄えたが、後の建久三年三池山大地震によって堂塔伽藍のすべてが壊滅してしまった。その後、時の領主により復興されたが、盛衰を繰り返し今に至っている。

上り石段

臥龍梅

本堂横

仁王像

社務所

石塔群

鐘楼

観音堂外観
ご詠歌 みつの池 心の水は 濁るとも あまねく照らす あきのよの月


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