第二十一番  五葉山  寛元寺  臨済宗
筑後市西牟田町寛元寺

0942-52-5424

    
 創建の歴史は古く、後嵯峨天皇の代、寛元元年(1243)、鎌倉幕府の地頭職として伊豆から赴任し、西牟田郷を納めていた西牟田弥二郎家綱が開基となって建立したのが寛元寺。開山はその家綱の次男の家次。家次は仏道の志が厚く、禅僧となるために出家し、肥前万寿寺で剃髪の後、鎌倉円覚寺で多年にわたり修行を重ねた。やがて雲山元怡和尚となった家次は、一時円覚寺に住んでいたが後に帰郷した。
 寛元寺の寺号は、諸堂が完成した寛元の年号をつけたものと寺伝には残っている。それ以前は休気山武立院というお寺があった。
 以降、寛元寺は十五代約三百年にわたり西牟田家代々の菩提寺として維持され、田畑等の寄進を受け、筑後希少のの禅窟として栄えてきた。その後も領主となった田中筑後守らの寄進により数度の火災による伽藍の焼失にも復興を果たしている。
 本尊は釈迦牟尼仏で、その他に廃寺となった末寺の松源寺から移された如意輪観音がお祀りされている。本堂の天井に描かれている「雲竜の図」は狩野永錫の筆といわれその八方眼の輝きは今も当時の勢いを失っていない。また観音堂には仏師運慶の作と伝えられている、城主西牟田家の本尊であった聖観音が祀られ、傍らには松源寺から移された乳婦観音も安置されている。
ご詠歌 のちの世を ゆるやかならず 頼みなば もとより清き 心知るべし


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