●田主丸の河童伝説


壇ノ浦で敗れた平清盛が河童に化身して巨瀬川に住み着き、平家の怨念が大洪水を引き起こしているという説もある河童伝説。田主丸の河童のイメージはどことなく平清盛に似ているようです。 

おっちょこちょいで力持ち 恩義を忘れず色気あり

色好みの河童がつくったことわざ

樋(とい)の上の弥五郎話

 むかし怠け者の弥五郎という河童がいました。巨瀬川筋の水車小屋のところにある木製の水路の川樋の上で仲間の河童とはいつもはずれて昼寝をしていたので、みんなから「樋の上の弥五郎」と呼ばれていました。  昼寝をしているところに人が近づくと河童の神通力で、頭痛がしたり高熱が出たりするといい、弥五郎のいる樋には誰も近づこうとはしませんでした。弥五郎は大変な色好みの河童で、樋の上で昼寝をして過ごすのも毎夜毎夜遊び回るからでした。真夏の暑い日、子どもたちが川下で遊んでいると、弥五郎が流れてきたのだそうです。夜遊びで疲れ、我を忘れて熟睡している間に頭の皿の水も乾いてしまい、神通力もなくなって流れてしまったとか。このことから「河童の川流れ」ということわざが始まったといわれています。

●河童切傷創膏(かっぱきりきずそうこう)

いたずらがすぎて

 久留米藩の田口長ヱ門が田主丸区の見回りの途中、村島の関の下の川の中ほどまで来ると、馬がとまって動かなくなってしまいました。  おともの者が叫ふので長ヱ門が馬上から振り向くと河童が馬の尻尾をこん身の力をこめて引っ張っています。長ヱ門は、一瞬のうちに河童の手を切り落としてしまいました。やがて見回りを終えた後、おともの者が馬を馬舎に入れようとすると、河童の手が馬のしっぽをわしつかみにしたままです。生臭い臭いがし始め、困り果てて煮立った湯につけてしまいました。

水に強い河童の一粒の涙

 しばらくすると長ヱ門の門前に河童たちが集まり、ワイワイ、ガヤガヤ・・・切った河童の手を返せといいます。長ヱ門は「切れた手を返せというが、つながるものか」というと、河童の頭目が「河童には河童切傷創膏という名薬があるので切れた手でも、もとのように立派によくなる」と自慢するので、長ヱ門は「もうつながらないぞ、この通り煮え湯で煮たぞ」というと河童たちはがっかりして消えてしまいました。残った河童の頭目は「水には千人力だが、お湯となってはかなわない」と力を落とし、頬に一粒の涙が光っていたそうです。  

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