●河童の里田主丸


 田主丸は慶長19年〈1614)10月20日、家族菊池丹後入道が吉瀬治部のやぶを開墾し、長さ125間の町筋を創建したことに始まります。

「楽しく生まる」で
「たぬしまる」

馬場瀬神社の木像。右から九千坊、
平清盛、罔象女命 、二位尼、沙悟浄

 田主丸の名は、入道の往生観「楽しく生まる」から生まれたと伝えられ、「たのしまる」と呼ぶ人も多く、楽しく心のままに人生を送る「楽生」の精神は、田主丸の歴史の中に脈々と息づいているのです。

筑後河童信仰

 川のシンボルでもある河童。河童を語り、河童と出会うことは川と人の関係をみつめることでもあります。筑後川は豊かな実りをもたらす反面、一夜にして川底の流れが変わるあばれ川でもあり、江戸時代(1600年頃)には年間32回もの洪水が起こった年もありました。人々はそれを神業と考えて水神様を祀って安全を祈り、それが「河童」信仰へとつながっていったといわれています。

河童の頭目九千坊の里

 菊池氏は菊地郡染川村の馬場瀬名というところに罔象女命(みずはめのみこと)を祀っていました。先祖にならい、菊池丹後入道が水神様を田主丸町馬場に祀ったのは寛永16年。それが明和3年に人々の願いによって東町の地に移され、馬場の瀬神社が建立されました。山辺の二田にあった月読神社が明治15年に現在の地に移り、今は月読神社境内の中に小さなお堂が営まれ、人々は親しみをこめて「ばばんせどん」と呼んでいます。

 祭神罔象女命が従えている、二体の木像を田主丸の人々は「川ん殿(河童)」と呼び、左手に剣を持ち右手に宝珠をもつのが沙悟浄、ふんどしをつけ頭に皿をいただくのが九千坊とか。九千坊は筑後川、巨瀬川の河童の頭目といわれ、ある時は浮羽町の妹川の里に棲み、またある時は吉井町の高橋神社横の流れに、田主丸の馬場の蛇淵に、志床今村の巨瀬河畔に、そして久留米の庄前神社にと移り棲みます。九千坊と手下どもは人間とおもしろい交渉を持ち、川辺の町に伝説という足跡を残しているのです。



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